岡山県児島市なんて「市」はもう存在しない。瀬戸内海工業地域の中心地に
ある「水島」のために高梁川の河口を埋め立てる時、当時の倉敷市、児島市、
玉島市の3市の境界が訳がわからなくなり、
「えい、面倒だ、合併しちまえ」
ということで3市が合併し、境界不明地区は水島地区となった。だから、元
の児島市は、現在は、「岡山県倉敷市児島地区」になっている。
場所は、瀬戸大橋の本州側で、児島坂出 ルートの「児島」である。昔は、下津井電鉄という日本でレール幅が一番狭い 鉄道が走っていたが、廃止になった。その後、都会(岡山または倉敷)に出る 鉄道が暫くのあいだ無かったが、瀬戸大橋ができて特急列車も止まるJR児島 駅が突如砂漠(塩田跡地)に出現した。
駅前は、今だ砂漠同然で、それを利用し、瀬戸内博覧会が催された。この駅 前砂漠は個人の持ち物。塩田王の持ち物。駅前にあるのは、公衆トイレとバス 乗り場、さらにその向こうには、日本人は外国にかぶれたいだろうということ で開校したアメリカの州立短期大学 Mt. Hood Community College の廃校跡。駅前には商店など一切無い。遠くに町が望める。 さらにそのかなたに、自動車社会についていけなくなり、廃虚となった旧商店街がある。
町の主要産業は繊維。戦争直後は学生服の日本最大の生産地として繁栄を極
めるが、学生服離れとともに、町は没落を極める。繊維は今も盛んだが、ジー
ンズなどが中心。もちろん日本は人権費が極めて高いので、工場は殆んど海外
を生産拠点としている。町で年寄りに会うと、
「若い者は、中国に行って仕事せな。児島にいては仕事にならん」
と言われてしまう国際都市。
気候は極めて温暖で、雨は本州で一番少ない場所。私の行った中学のグラン ドの周囲はオリーブの木でできていた。オリーブの実をちぎって食べたけれど、 そのままではうまくなかった。小さなバナナの木も生えていた。