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書名 | オープンソースの逆襲 |
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著者 | 吉田智子 | |
発行日 | 2007年9月10日 | |
発行元 | 株式会社出版文化社 | |
頁数 | 四六判、264頁 | |
定価 | 1429円(本体) | |
ISBN | 978-4-88338-368-9 |
最近、ようやくオープンソース、OSSという言葉が社会的にも認められ、 あちこちで使用されるようになってきた。 本当に遅すぎたけれど、それでも何とか認知され始めたのだから喜ぶべきなのかと、 無理矢理自分を慰めたりする今日このごろではある。
と思っていたところに、この本が飛んで来た。 本当に、クロネコメールで飛んで来たというか、 著者から送られて来たのである。 もうずいぶん会っていないな、とか思いながら、週末ということもあり一気に読んでみた。
オープンソースの概説書、オープンソース世界以外の人にオープンソースの世界を 解説する本で、ほとんど専門知識を必要としない啓蒙書である。 しかし、著者は、日本のオープンソース界のまっただ中にいて様々な活躍をされ、 LLUG(Linux女性ユーザの会)を立ち上げ、今も会長をされている方である。 今は女子大の先生になられて、自分の大学はもちろん、さまざまなところで コンピュータ教育にも携わっていて、それらの経験、エピソードも書かれていて、 オープンソースを現実に複数の面から取り組んで来た数少ない著者の側面が良く出ている本である。
この本でも書かれていたが、オープンソースに関わる人が、日本と世界では随分違いがある。 世界では、オープンソースの世界には若者が群れているのだが、 なぜか日本では40代、50代のおじさんが多いことだ。 若くなるほど、みずからオリジナルのプログラムを作ってしまおうとか、 オープンソースの世界に首を突っこむ人が少ないのである。 これはオープンソースに限らず、新しいことに首を突っこみたたがるのは、 団塊の世代あたりが多いような気がする。 何か社会が狂っている、若者が若者らしくないとしか思えないのだが、どうだろう。 用意された問題を解いて100点を取ることなど目指すのは本当につまらなくないか? もっと上を目指さねば何の発展もない。
私の知っている、元々はUnixバリバリの研究室だったところが、いつの間にか、 Linuxなどを使っているのは先生だけで、学生、院生はみんなWindowsしか使っていない ところが増えてしまった。中には、大学全体がWindowsになってしまったりして、 さらには理工学部情報系なのに、プログラムなど書いたことがない人が確実に増加しているように感じている。
それから、本書でも、オープンソースといっても、プログラムを公開しただけではダメで、 さまざまなドキュメントの重要性が示されていた。とくに、著者は、 日本のオープンソースの世界で、情報発信役の中心的な役割をはたしていたこともある。 とくに、日本は、ドキュメントの評価が低い国で、大いに問題である。
著者は、プログラムは組めないけれど、オープンソースの世界を知りたい女子大生を ハッカーが集まるオープンソースの集りに連れていったりしたようだ。 しかし、言葉がさっぱり分からず、それだけで居心地が悪くなったりするようだ。
日本は「ものづくり」をもっともっとしなければという掛け声はよく聞くのだが、 現実にものづくりができる社会はどんどん減少しているようだ。 本書で知ったのだが、高校で必修となっている「情報」にも、 「情報A」、「情報B」、「情報C」があって、どれかを選ぶことになっている。 「情報A」はリテラシーを教え、「情報B」はプログラムを教え、 「情報C」はマルチメディアやプレゼンなどの演習をやる。 (かなり省略しているので、詳細はネットなどで調べて欲しい)
さて、彼女の研究室の学生が調査したところ、京都府内の高校では、 「情報A」が62%、「情報B」が3%、「情報C」が35%とのことだ。 「情報B」が3%ということは、プログラミング教育はほとんど行なわれていないということだ。
私の知っているところでは、実は大学でも情報教育といいながら、 リテラシー教育程度に留まり、プログラミングを教えていないのが実態だ。 それも、有名国立大ですらそんな情况になっているようだ。
プログラミングをしてみたことがない人が、 コンピュータの性能、可能性をいったいどこまで考えられるだろうか。 ウソやでたらめが書かれていても、簡単に信じて仕舞うだろう。 経済産業省は、オープンソースの推進を様々な方法で行なおうとしているが、 一方で文部科学省の方、あるいは多くの教育現場は非常に腰が重いようだ。
すでの、あらゆる活動が、IT、WEBから逃れられない情况になっている。 そういう情况において、使っているソフトウェアが特定の企業のもの許になってしまうと、 政府の存在などゴミみたいなもので、特定の企業が社会を征服可能になってしまう訳で、 ヨーロッパや植民地を経験した開発途上国はそういう世界を嫌っていて、 対抗するためにオープンソースを国として進めているところが非常に多い。
さて、日本であるが、国全体としては何も決まっていないのではと思う。 国会も年金問題でもめることはあっても(無いようだったらヤバイのだがその可能性すら有る) コンピュータ教育に関しては、無関心であろう。
本書は縦書で、あまり前堤知識も必要としないので、 オープンソースとは何かの質問を受けたときに、その答えの1つとして示せる本である。
2007年9月1日