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第13章 計算は自分で

困った日本語問題


UNIXマシンは、パソコンに比べてはるかに高い性能を持っていますが、こと日本語に関しては、 実に良くない。こんなこと、今さらここで言うまでもない「公然の事実」ですが、この原稿をUNIX のエディタ(NEmacs、最近はMuleも)で書いている私は、頭の中に湧いてきたことを、忘れ去る前に 文字に変換しなくてはいけません。この作業がスムースかどうかは、アホなプログラムに対して 「バカヤロー」と思う以上に、日本語作業環境に対して「バカヤロー」と思うのです。

広い画面で多くの行を同時に見れるのは文の流れを把握するには何より重宝ですが、辞書のバカ さを考えると、ちょっと秋葉原まで行って、安い中古の専用ワープロを買ってきて、イーサーに繋 げようかと思ってしまいます。

UNIXを長年使っている人は、UNIX世界の経緯や技術上の問題などを十分に知っており、我慢する ことができます。しかし、理由を知らないパソコンやワープロ利用者がUNIXに面したとき、そうい う我慢は一切できません。UNIXマシンは高級といいながら、実際にはバカではないか、と判断して しまいます。そして、UNIXをやっている技術者達もバカではないかと判断されかねません。

半角カタカナは、誰もが使えて当然と考えるでしょうが、UNIXの世界ではけっこう使えなかった りするのです。今までUNIXのソフト開発をしていたアカデミック色の強い人たちの中には、半角カ タカナ廃止論に近いことをいう身勝手な人も少なくありません。

Xウィンドウ(X11R5)では、最初から英語以外の言語にも対応するように考えられています。確 かに考えてはいるのですが、一般プログラマあるいはユーザにとって、日本語が特別な勉強をしな くても「正しい作法」で利用できるかに関しては、はなはだ疑わしい状態です。

Xウィンドウでは、プログラムを一切変更せず、環境をちょっと変えるだけで、ソフトが、英語 バージョンになったり、日本語バージョンになったりが可能です。これは、もちろん正しくプログ ラムされていればの話です。今回紹介するプログラムに限らず、多くの書籍やマニュアル類にも、 「正しい作法」はほとんど出ていません。書かれているのは、作法ではなく、「哲学」ばかりです。

要するに、与える側と与えられる側の思考の差は著しいものがあります。同じコンピュータでも、 パソコンの場合には、こんな差はありません。二者のギャップの差を縮めないと、UNIXがなかなか 普及してくれません。普及しないと、良いソフト、楽しいソフト、面白いソフトなど出てこないで しょう。

いやいや、このギャップの存在にすらいまだ気づいていない輩も多いように思えます。だから、 ユーザに対する認識が、UNIX界はパソコン界に比べて10年遅れていると私はいつも言っているので す。


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