目次次「失敗は隠せ」 English

下請け、孫請、曾孫請


ソフトウェア開発というと、何だか先端産業のような顔をしているが、この 業界の下請構造の充実ぶりは、他産業と比べても決して引けを取るものではな い。殆どのソフトハウスは十人以下の零細企業である。マンション・カンパニー が非常に多い産業である。

昔は、コンピュータを購入するには相当の費用がかかったものだが、今はコ ンピュータは高くない。個人でも十分買える代物だ。それに、ソフトウェア開 発で一番重要なものは、人、頭脳である。人件費の比率がもっとも高い産業の 一つである。

これらの零細なソフトハウスは、自社で独自の製品を作っている会社は極め てまれである。一握りの会社だけが自社製品で生きている。大部分は、名前は ソフトハウスだが、実際は人材派遣と何ら変わりがない。月幾らでプログラマ を派遣するだけだ。それも、直接派遣するのは殆どなくて、大手のソフトハウ スなどからの求めに応じて人を派遣するのだ。まあ、零細は営業力がないから 仕事を見つけられない。

さて、大手企業の側から見た場合、どうなるだろうか。ソフトウェア開発を 外注したり、社員を派遣してもらうとき、まず会社規模が重要である。腕が良 い人が来るかどうかは、まずは問題にされない。資本金がいくらで、従業員が 何人いて、売上がいくらで、創業何年経っているか、そういうことが最初のチェッ ク項目である。

まず、殆どの大手企業は、外注や派遣のときに、取引口座がないと取引でき ない。この口座を開設するには、相手は中堅どころの規模でなくては、まず無 理である。それどころか、口座の数が固定数で、新規の外注先など増やさない ことに決めているところも多い。口座の開設にあたっては、経理が色々チェッ クを入れる。物に対して払うのではなく、労働の対価として結構まとまった金 額を払うのである。まあ、言ってみれば、はっきりと誰にでも分かる「物」と いうものがないのに払うのであるから、相手が信用できるかどうかは最重要事 項である。

本当は、プログラムとか資料、報告書などの成果は出てくるのであるが、そ れは少なくとも担当者でなければ、とても評価できない。ある程度のコンピュー タの知識がなければ、紙屑と何ら変わらない。自社の担当者の評価を聞くしか ないのだ。まあ、心もとないことだと思う。

こういう企業でも、特殊な仕事になると、たとえ相手が小さな会社でも、他 にやれる会社がない場合は、やむを得ずその会社に頼む。こういう場合でも、 どこか取引口座を持っている会社を通して行なうことが殆どだ。つまり、取引 口座のある会社に仕事を出したことにして、その受けた会社が、実際には何も しなくて、さらに実際に仕事をする会社に仕事を回す。

口座を持っている下請けは、実は中堅以上のソフトハウスとか派遣会社が多 い。それどころか、企業やメーカーの系列会社が圧倒的に多い。そういう会社 は、親会社の名前に何文字か追加をして社名にしている。こういう会社の場合、 自分の会社で全部仕事をすることもあるが、契約社員や外注に仕事を回すこと が相当に多い。仕事量には波があり、それを平準化するためには契約社員や外 注を利用するのは当然である。もちろん、この下請けが2回くらい行なわれる ことは良くある。時には、3回も行なわれることがある。

孫請に回す時、下請けは、回ってきた金を1、2割ほどピンはねする。この 割合は、お互いの関係によって大きく変わってくる。3割以上のことだってあ るだろう。だから、下請けがもらった金額が高くても、曾孫請まで行った時に は半額以下になっているのは良くある。

もうかなり前のことであるが、ある仕事の孫請をしたことがある。下請けの 会社の人がそのプロジェクトのリーダーをしたのだが、あまり腕が良くなかっ た。大手の研究所からの仕事であったので、色々と作業報告書を出さないとい けない。政府の補助金も出ていたからなおさらだ。作業は殆ど私一人で行なっ たのだが、報告書には私を含めて3名の名前がある。一人は、私の上司的な立 場になっている下請けの会社(実は系列会社)の人である。もう一人が分から ない。見たこともない人の名前が載っている。いや、私が報告書の表紙に、書 けと言われて書いた名前である。つまり、3人が仕事をしていることになって いる。

まあ、こうすれば単価が安くても、3倍になれば十分やっていける訳だ。単 価の上限は厳しく決められている。しかし、実際にその金額で優秀なのを採用 することは無理だ。だから、皆分かっていながらこういうことをする訳だ。あ る程度大きな会社になれば、担当者数くらいどのようにでもなるのだ。

月に一度、作業報告書の提出となる。各人について、作業した日にちに印鑑 を押す。この日になると、判子がぞろぞろと出てくる。架空の社員の判子だ。 この判子を、必要に応じて押していく訳だ。この判子押しで、3人が働いてい ることを証明する訳だ。良いプログラムを作ることより、この作業報告書作り が重要なのである。まあ、技術者というのは、こういう全くの無駄と思われる ことをさせると、ぶつくさ言うだけではなく、気分を害してしまい、作業効率 がガクッと落ちてしまう。だが、これをやらないと給与がもらえないので、し ぶしぶと判子押しをやっていた。

そもそも、プログラマなんて、出社時のタイムカードだって押したがらない 人間だ。私なんか、以前いた会社にタイムカードがあったが、押すのを常に忘 れていた。あまりに忘れるものだから、同じ部署の女性社員が代わりに押して くれていた。しかし、退社時に押さないので、出社ばかりのタイムカードになっ てしまった。もはや勤務時間は計算不能になった。経理はどうしたのであろう。 どうも、ああいうものは面倒で、忘れてしまう。せいぜい、通過しただけで出 退社が分かるような装置でなければいけない。

閑話休題。本当は、実際に仕事をしてくれるところに、直接金も支払うこと にすれば、働く方だって手取りが増えるのだから、もっと真剣に働いてくれて、 もっと良いプログラムができるというものだ。しかし、組織というところは、 そういうことをするのが難しい。でも、中間がいっぱい入り過ぎると、結局実 際に仕事をする人に不利になってしまう。

仕事を出す方だって、それらは全部分かっている。しかし、これを打破する のは難しいが、プログラムの品質を考えれば、仕事を出す方も馬鹿を見ること になる。儲かるのは中間搾取する会社だけになる。

金のことばかりを書いたが、意思疎通の問題がある。プログラムとは、長編 小説を分担執筆するようなところがある。色々なことを決めておかないと、各 プログラマが作ったものを結合した時、つじつまが合わなくなることが良くあ る。これは大変厄介なことである。よほどしっかりと連絡を取合わなければな らないので、簡単に下請けに回すというのは危険極まり無い。

どんどん下請、孫請に回すと、作りたかった物と、でき上がった物との差が 拡大してくる。伝言ゲームと同じで、情報というものは、多数の人を経由すれ ばするだけ変形を加えられ、情報発信元もびっくりするような奇っ怪な内容に なってしまう。ソフトウェア開発も全く同じだ。中間に余分な介入者はいない 方が良い。


我輩は猫である


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