目次次「インターネットとモラル」

設計環境


コンピュータの世界の変化は激しい。だから、コンピュータの使い方も日夜変化してい る。そのコンピュータ上で動かすプログラムの作り方だって必然的に変わってしまう。

まず、初期のコンピュータは非常に高価で、かつ性能も非常に低かった。コンピュータ はガラス張りのコンピュータ室に鎮座しており、その周辺にある端末室と呼ばれる部屋へ プログラマが出かけて、コンピュータを使わしていただくという状態だった。 こういうコンピュータに対しては、データもプログラムも可能な限り小さくなければな らない。小さくするためにプログラマが1ヶ月費やしても1年費やしても良かった。つま り、小さくするためには、どんな超絶技巧を凝らしても良かったし、そうすべきであった。

今のコンピュータは、非常に強力になり、人間がいくら巨大なプログラムを作っても、 まず大き過ぎて動かないことはないだろう。今日のコンピュータは、100万行のプログ ラムでも、さほど苦もなく動かせる。

データの方は、まだ今のコンピュータでは能力不足なことも多いであろう。それより、 人間というものは、扱えるデータ量が増えたら増えたで、さらに多くのデータ処理をさせ ようと思う。だから、いくら巨大なデータが扱えるようになっても、決して満足というこ とはない。

普通の本は、フロッピー1枚に十分収まる。フロッピー1枚にぎっしり詰め込めば、4 00字詰原稿用紙1000枚以上になり、かなり大きな本になる。このフロッピー1枚が、 約50円である。1000頁の本とすると、1頁当たり5銭である。

フロッピーよりもっと便利な物にハードディスクというのがある。フロッピー1000 枚分とかのデータを入れることができる。フロッピー1000枚分で約5万円なので、や はり1頁当たり5銭である。分厚い本1000冊分の文字データを5万円で保持できれば、 目茶苦茶に安いであろう。

これらの記憶装置は、まだまだ安くなる。2000年までに、今の10分の1以下にな ることは確実であろう。これは、日本人全員の氏名、住所などを数十万円で記憶させるこ とができることを意味する。

ときどきコンピュータ化されたデータが漏洩しているが、今のところは、一度に漏れる 人数はせいぜい数万人である。しかし、データを記憶する媒体がどんどんコンパクトにな り、安くなっていくと、一度に百万人以上の個人データが漏れることも考えられる。

まず、記憶できる量が爆発的に増大したので、プログラムの設計が大きく変わった。も はや技巧に富んだプログラムは悪者になってしまった。誰にも分かり易い、安全なプログ ラムの作り方が奨励されている。

できることならプログラムを作らせない、という方向に進んでいる。どんな物を作りた いかのコンピュータの質問に答えることで、自動的にプログラムを作ろうという方向であ り、この代表がデータベースである。

記憶量の爆発を書いたが、その前に、低価格化がある。昔は1台のコンピュータを何人 かで利用するので、コンピュータを自由に使えない。時間割をつくって、何曜日の何時か ら何時までが使える、というふうになっていた。

こういう状態では、コンピュータが使える時には、コンピュータがなければできないこ とのみに集中する。コンピュータがなくてもできることは、他の時間帯にする。プログラ ムを考えるのは、コンピュータの前ではない。プログラムは、紙に書いて十分に検討し、 準備万端整えてからコンピュータの利用時間帯にすばやく利用し、問題点だけをリストアッ プし、次回の利用時間帯までに修正する。

今は、まるで違う。プログラムを紙の上に鉛筆で書き、推敲している姿などどこにもな い。直接、コンピュータの画面の前に座り、あれこれ考えながらプログラムを仕上げてい く。ときどき、画面をそのままの状態で、つまり他の人に使わさない状態のままで、席を 立ってどっかへ行ってしまう。

最近はコンピュータ・ネットワークという言葉が氾濫している。コンピュータをケーブ ルで繋いで、こちらのコンピュータからあちらのコンピュータを操作しようという訳だ。 こうなると、その気になれば、一個所にいて、コンピュータ・ネットワークに繋がってい る全てのコンピュータを一人で使ってしまうことさえできる。

私は、時間のかかりそうな処理をよく行なうので、コンピュータ・ネットワークを眺め て、一番暇そうにしているコンピュータを選んで計算させている。

昔は、それぞれのコンピュータは孤立して存在していた。それが、ネットワークとして 繋がれていくと、色々影響が出る。暇なコンピュータを選んで仕事をさせると、本当にネッ トワークの有り難みを感じるが、逆に、変な使い方をされると、そのネットワークに繋がっ ているコンピュータが全部同時に使えなくなる。ネットワークに対して、自分のプログラ ムが悪影響を及ぼすかどうかは常に考えなければならなくなった。

昔、まだパソコンという言葉もないころ、マイコンを使う人は、自ら電子部品を集め、 ハンダゴテを持ってマイコンを組み立てた。一応最低限の電気の知識くらいは必要であっ た。完成品のコンピュータは非常に高く、何とか自作して安く済ませようとした。マイコ ンで何か処理させたいと思ったら、プログラムを設計するだけでなく、マイコンを組み立 てる能力まで必要だった。

今、パソコンを自分で組み立てたら、完成品を購入するより高くなるだろう。だから、 自分で組み立てるのは、その筋の専門家か、余程の物好きだけになった。その後、パソコ ンの使用者数は何十倍にもなった。しかし、パソコンを部品から組み立てる人は、以前よ り少ない。ただパソコンショップで必要な機器を購入し、接続して使うようになった。今 では、パソコンを自分で組み立てる人は、改造する人を含めても、全パソコン利用者の5 %も絶対にいないだろう。

コンピュータ以外のもっと成熟した分野を考えてみよう。自動車産業は非常に裾野が広 い。自動車の利用者数は人口と同じレベルである。自動車関連産業に携わる人の数は多い が、実際に設計レベルを行なっている人は、各自動車会社のほんの一部の研究開発要員だ けであり、設計部門の人数の比率は極度に少ない。

今後もコンピュータは変化し続ける。だから、当然プログラム設計で考えなければなら ないことも変わってくる。昔、頑張って作ったことが、コンピュータの基本機能として実 現されていることがある。今は、コンピュータで何かをやらせようとすると、まだ相当数 のプログラマがプログラムという代物を、設計とか称して、えっちらおっちら作成してい る。

将来は、コンピュータの進歩により、他の産業並に、プログラムを作るなどという設計 は珍しくなり、プログラマなんて人は殆どいなくなるかも知れない。また、以前のように、 コンピュータの研究者だけの特別な技能に逆戻りするかも知れない。だから、今が一番プ ログラマの数が必要な時代で、これからはどんどん減っていき、他の産業のように、プロ グラムはごく一部の人が設計し、殆どの人は使うだけ、あるいはせいぜい保守作業などに 限られるのでは。これは歴史的必然ではないか。

プログラムの設計方法を、時代に則した方法に変える必要があることは、誰でも理屈と しては理解できている。しかし、プログラムを開発している会社が意外とそうでないのだ。 そういう会社にも管理職から、新米プログラマまでいる訳だ。管理職も昔は新米プログラ マだったりして、その時代に則した方法でプログラムを作っていた。しかし、「三つ子の 魂百まで」のたとえ通りで、昔の考えから抜け切らないのが大勢いる。なまじ権力を持っ ているから始末が悪い。

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