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意味不明のマニュアル


プログラムを入手すると、取扱説明書、いわゆるマニュアルがついている。これを読め ば使えるようになると思って頑張って読んでも、全く何を書いているか良く分からないこ とが多い筈だ。多くのユーザーは、自分の能力を疑い、自信をなくす人が多いようだが、 実際にはマニュアルを作る側の能力こそ疑わしい。

専門用語が突然出てきて、説明もなく使われることがある。でも、この程度なら、調べ れば分かることがある。日本語になっていない文章のことがある。一度、じっくりと声を 出して読めば直ぐに分かるようなおかしな表現のことがある。文学作品のような、優美さ とかを求める必要はないから、正しく意図していることが相手に伝わるような、単純明瞭 な文章で書いて欲しい。

また、マニュアルは、一般の書籍に比べて非常に誤字が目立つ。書籍の場合には、前後 関係や関連書籍や知識から誤りがあっても正しながら読むことは可能であるが、マニュア ルはそうはいかない。ソフトウェアを使う時、頼りになるのはマニュアルしかない。もし マニュアルに誤りがあっても、ユーザーはその通りに操作してみる。そうして、動かない といって苦情の電話をしたり、使うのを止めてしまったりする。

マニュアルに誤字が多い理由は、校正がしっかり行なわれていない証拠である。校正作 業はちっとも面白くない作業であることは、私も色々書いているので分かる。自分で書き 上げた文章を、推敲のためではなく、誤字脱字を捜すために何度も読み返すのは、極めて かったるい作業である。しかし、マニュアルの誤字脱字のために操作ミスをして、プログ ラムの評価を落としては、どんなにプログラム作りを頑張っても無意味になってしまう。

マニュアルに時間をかけて品質を上げると、クレーム対応に取られる時間が減るので、 全体としては時間の節約になるのであるが、短絡的思考の人が多いせいか、そういうこと はまず行なわれない。

マニュアルで誤ってくれると困るのは、文章以外の部分である。表とか、図とかが大変 重要である。文章よりも、そういう図などの操作例を参考にして動かしてみる。プログラ ムを使い始めて慣れない間は、マニュアルの操作例の通りを試してみる。だから、操作例 に誤りがあると大変だ。数字のゼロ(0)と英大文字のオー(O)の区別など、見た目で は差がないようなことでもコンピュータは区別してしまうので、操作例には最大限の注意 を払って欲しい。

マニュアルの中の、操作編とか入門編というのは、操作がいっぱい載っていて、その指 示に従ってユーザーも操作していけば基礎的なことは一応マスターできるようになってい る。こういうマニュアルのチェックは、そのマニュアルを書いた人ではなく、そのプログ ラムの初心者を連れてきて、マニュアル通りに操作をしてもらうと、マニュアルの欠点が 良く分かってくる。なまじ知っていると、誤りが記されていても、自分の覚えている通り に操作してしまい、何度校正しても見逃してしまう。しかし、初心者によるチェックを行 なっていることは殆どない。

ソフトウェアによっては、何冊もの分厚いマニュアルがついてくることがあるだろう。 2000頁、3000頁に及ぶことも珍しくはない。しかし、マニュアルが厚いのと、充 実しているのは全く何の関係もない。そのソフトウェアを使うことのないお偉いさんが、 その量を見て納得するだけである。

大部の場合には、最初どこから読み始めたら良いのか分からないことが多い。そのソフ トウェアで行なえることが全て細かく書かれているマニュアルは必要であるが、最初から そういうマニュアルを端から順に読んでいくのは、無茶苦茶に疲れる。どんなソフトウェ アの場合でも、実際に使う機能は限られている。機能の数から言えば、枝葉末節が圧倒的 に多く、総頁数の過半数を占める。そのソフトウェアのベテランになるとそういう個所も 見る必要があるが、最初のうちは見ない方が良い。まずは、全体がどういう風に動作する のかを理解できる入門書的なマニュアルが望まれる。

しかし、入門書的なマニュアルが付属していることは希である。入門書は、ソフトウェ アに付属するのではなく、どうも書店で別に買わなければならないようだ。マニュアルを わざと下手糞にかつ分厚く書いて、読む者の自信を失わせ、別に解説書を買わせようとい う魂胆ではないかと疑うのは間違いだろうか。

日本では、マニュアルの評価は非常に低い。メーカーにしても、ソフトハウスにしても、 製品開発の主要項目としてマニュアルを掲げているところは少ない。製品の添え物くらい にしか思っていない。最近でこそマニュアル・ライターなる職業も評価されるようになっ たが、マニュアルを書くための時間は、ソフトウェアの開発時間に比べると、1割にも満 たないだろう。費用だって、印刷製本代の占める割合ばかりが多く、執筆、校正など、ユー ザーのことを思っての配分はない。

昔、あるメーカーがコンピュータのマニュアルを出す時、日本古典文学大系でも出すの と勘違いしたのか、紙箱入りのマニュアルにしたことがある。マニュアルは外見が立派で なければならないとの思い込みの現われであろう。印刷の方も2色刷で、紙もコート紙と いう大変高価なものを用いて、高級感を強調したのであろう。

しかし、内容は誤りだらけで、ユーザーは二度とその会社のコンピュータを買うまい、 使うまいと心に誓ったことが想像できる。ワープロで作って、コピーしただけのマニュア ルでも、それを見ることにより正しく操作できれば、マニュアルとしての要件を満たして いる。マニュアルの基本を忘れないで欲しい。

「マニュアルで逃げる」という言葉がある。これは、ソフトウェアに不都合があるとき、 不都合な操作をするなとマニュアル中に明記することである。こう書いておけば、少々不 完全なソフトウェアでも、ユーザーは危険な操作を未然に防ぐことができ、十分実用に堪 えられる。好奇心が旺盛過ぎるのが、わざわざその危険を犯して、コンピュータを停止さ せたりすることがあるが、そういう者の面倒まで見ることはない。

日本人は、変な完璧主義というか、潔癖性というか、ソフトウェアに誤りは決してあっ てはならないと信じている馬鹿な連中がいる。しかし、現実のソフトウェアには誤りは必 ずある。だから、隠されて事件になるより、トラブルの避け方を明示してくれる方が余程 役に立つマニュアルと言える。

マニュアルこそ商品の顔である。商品そのものである。どんなに頑張って良いソフトウェ アを作っても、そのソフトウェアを使うための唯一の手引きであるマニュアルが不備では、 ユーザーは使いこなせない。

私は、日本のトップレベルのプログラマのレベルは決して低くはないと思っている。実 際、世界に対抗できるだけのソフトウェアを作り上げた連中はいる。アメリカあたりと対 等にやっていけるようなプログラムであったのだが、説明書、マニュアルを作る力で完全 に負けてしまった。日本のソフトウェアはマニュアルが不備なため、誰も使わなくなり、 日本の技術も反映したアメリカのソフトウェアの方が世界制覇をしてしまった。

しかし、非常に残念なことだが、日本のプログラマ達は、未だにマニュアルの重要性を 認識していない。これは大学のころから、説明書を書いたりする訓練が全然されていない ためであろう。大学における重要な演習としてマニュアル作成を義務づけるべきだと思う が、その一方で、そのようなことを今の大学に行なうだけの能力があるか心配である。

プログラムは書けるが、マニュアルは書けないというプログラマが多い。実に困ったこ とである。はっきりいって、片輪である。プログラムは、マニュアルを具現化しただけの ものである。マニュアルには、マニュアルの通りに動くソフトウェアが付属でついてくる という風に考えられぬものか。


我輩は猫である


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