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書名 「わかる」とはどういうことか
−−認識の脳科学
シリーズちくま新書 339
著者山鳥重(やまどり・あつし)
発行日2002年4月20日
発行元株式会社 筑摩書房
頁数新書判、236頁
定価720円(本体)
ISBN4-480-05939-3

このところ、ちょっと脳科学系の軽い本を読んでいる。 著者は、「わかる」に関する医者である。 具体的には、記憶障害、失語症、認知障害が専門となっている。

「わかる」ということは、脳の中で、どういうことが行われたときに「わかった」と思うのか、 感じるのか、を解明というか、説明している本である。 まず、「わかる」より前に、記憶があり、記憶がなければ「わからない」という。

さらに、「わかる」にもいろいろあるらしく、6種類のわかるを解説している。 その中に、「見当識」という用語が出てきた。 「見当」をつける能力のことを見当識というのだそうだ。 「今何時ころかな」とか、「どっちの方角に行けばいいのかな」とか、 という見当をつけることは日常でもよくある。

全体を把握する能力がないと、見当識はなくなってしまうのだそうだ。 個々についての完壁な知識があっても、全体をまとめて理解する能力がないと、 現実に生活や仕事をするには非常に困るらしい。

仕事についていえば、この仕事、どのくらいの作業量かが早い段階でわかるかどうかの能力である。 細かく分析して、ここの作業の和で全体の作業量を求めるのが一般的だろうけれど、 見当識のある人は、おおよそこのくらいだろうというのが直ぐにわかる訳である。

日常の生活についていえば、空間的な見当識がなくなってしまうと、 いつも地図をもって、さらにGPS装備でないと何処へも行けないことになる。 時間についての見当識も重要だ。食事の時間、通勤の時間、買物の時間、風呂の時間、などなど、 どのくらい時間がかかるのか凡そわからないと大変で、終電に乗り遅れてしまうことになる。

今の日本の教育は、残念ながら見当識を忘れている訳だ。 そもそも、テストで質問できるようなことは、個別の知識であり、記憶である。 それはそれで必要ではあるが、全体の把握能力をさっぱり鍛えていない。 これが、学校では良い成績だったのに、社会ではさっぱり役立たない人になってしまう原因だ。

わかれば、応用できるはずであるが、現実には「分った」と言うけれど、さっぱりできない人は多いものだ。 たとえば、コンピュータの場合、プログラミング言語を勉強して「分った」という人は 沢山いるだろうが、作ったプログラムを見ると、心臓麻痺を起しそうなのをよく見掛ける。 それどころか、分ったというけれども、プログラムを作れない人が多い。

わかるにも、ものすごく低いレベルから、応用自由自在のレベルまで、大差があるので、 実際にはどこまで、どのレベルで分っているかを聞く、調べる必要がある。

ふつうの脳科学の本当は、ちょっと切口が違って、それなりに面白い。 本当に、「わかる」ということをわかるのは分り難いことだ。

2008年4月6日


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