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腕の硬直したロボット

1995年12月1日

これも随分古い話になってしまう。ずっと前、某零細ソフト請負業者にいた ころの話である。

まあ、仕事が転がっていれば、その内容がどんなものであれやっていた。今 と違って、その当時にマイコンを本気で使おうなんてのは、殆んどが大企業ば かりであり、仕事をちゃんとやりさえすれば、金を取れなくなるなんてことは 一応全くなかった。

そんなボロ会社に、ある大手コンピュータ・メーカーの自動組み立てロボッ トを設計製作している工場から話が来たのである。まあ、会社は次の仕事を探 していたし、私がそれまでやっていた別の仕事も終りに近付いていたので、私 が担当するかどうかを決める為に、一応、その工場まで出かけていった。

当時の住所は足立区であり、ボロ会社は渋谷区で、その工場は川崎市にあっ た。もちろん、工場というところは、どういう訳だか朝が早い。その前の仕事 も同じ川崎市内の大手電気メーカーの工場の統括部門だったりして、通うのに 大変だった。まあ、こちらの都合に合わせて、ミーティングは出来るだけ遅く 始まるように調整をしてしまった。出入りの下っぱがこんなことをするのは無 謀なのだが、朝早く、工場まで出かけるのは至難の技なのである。

で、またまた通うのに大変な工場は嫌であったが、一応お金も手に入れなけ ればならないので、渋々工場まで営業と一緒に行った。ただし、この営業、ア センブラが得意というどころか、紙テープに開いている穴を見て、コードが分 かるようなぶっ飛んでいる人間であった。

さて、工場についたら、ずっと組み立てロボット一筋の担当者2名が、私の ことを不審そうに見つめながら、説明をしてくれた。

じつは、この工場の仕事を、ボロ会社の別の先輩がやっていて、内部の事情 も色々聞いていたので、余計に嫌だった訳である。とにかく労働時間ばかりが やたらに長いということであった。まあ、よく働けるようにと、出入りの技術 者に徹夜をしてもうために、仮眠室など、タコ部屋としての機能は良く揃って いたようだった。

話を元に戻そう。その説明で、担当者2名が、

「この組み立てロボットには、腕が2本ある。この2本が互いに協力したり、 あるいは相手の邪魔にならないようにしながら作業するプログラムを作るのは 大変難しい」

という説明を長々としてくれた。そして、彼らが考え抜いたというアイデア の固まりであるところのアルゴリズムを教えてくれた。

私はそれを聞いていて、「ん?うそ?」と思ってしまった。まずい、ついつ い、相手のバグを発見してしまった。でも、相手の方針通りに作ったら、完全 に腕が硬直する(より難しい言葉でいうなら、デッドロックしてしまう)こと が分かっちゃったんだ。

それは、右腕は左腕が遠ざかるのを静止して待ち、左腕も右腕が遠ざかるの を静止して待つということに単純になってしまうのだった。

言うべきか、言わざるべきか。目の前に担当者2名がいるのに、営業にその 場でこんなことを相談できない。さらに、担当者は、「どうだ、このアイデア は」というのが顔に出ている。

で、悩みに悩んで数秒後、問題点について発言してしまった。つまり、動か なくなる状況、つまり具体例を1つ、ぽろっと言ってしまった。これからが大 変であった。もちろん、あまりにも反論の余地の無い例を出してしまったもの だから、相手の面目はゼロ。向こうは、今までロボットを長年やってきた技術 者である。

でも、その場は、なんとか収めて、仕事については後日解答するということ になって帰った。もちろん、どうやったら、このトラブルを回避できるかは教 えなかった。

それより若干遅れて、東京大学から、ソリッドモデルという、全く訳の分か らない難しいとか噂に聞くプログラムを作る手伝いをしないかという話が来た。 こちらは、時間的にもかなり自由が聞くし、場所も文京区本郷だし、大学生協 も利用できるし、それに何より、その当時はまだ触るのも大変だったDECの VAX−11/780という1億円もして1ミップスしか出ない、その後、U NIXの育ての親ともいえるコンピュータに触れるのである。それに、どうも 東大の方が、金が多くもらえる。

というわけで、次の仕事は、言うまでもなく、東大の仕事にしてしまった。

もちろん、ロボットの仕事はやって来た。それも、私を指名しての仕事であ る。指名はあったが、金額は普通であった。しかし、私はそのロボットの仕事 には全然興味も無くしていたし、そういう仕事をする暇な人間は誰もいなかっ たので、断ってしまった。

その後の顛末は、一応気になっていた。風の噂に、新製品の発表予定などが 知られていたのだが、いつまでたっても発表にはならなかった。実際に発表に なったのは、確か予定より2年位遅れたようだった。


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