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巨大1600万色フルカラー表示装置

1996年1月9日

年のはじめということで、景気よく、1600万色フルカラー表示装置の話 をしよう。こういうと、1600万色フルカラー対応のグラフィックボードで もパソコンに差し込んで、ちょいと高めのディスプレイを買ってきてつないで 楽しんでいるように想像するやも知れぬが、そんなことではない。1600万 色フルカラー装置というからには、秋葉原のショップで買えるような代物では なかったのである。何しろ、 15年以上も前の話 である。

1600万色フルカラーにするには、1ドットあたり、どうしても3バイト のメモリが必要になる。まあ、リモートセンシング画像、つまり衛星写真の解 析などを無謀にも行おうとしていたので、実は3バイトではなく、4バイト必 要だったのである。4番目の色は「赤外線」である。

ディスプレイは、何と、512×512ドットという完全に正方形であった。 この各ドットに4バイトを使うから、全部で1MBになる。実は、さらに優れ もので、カラー画面2枚分のメモリを持っていた。つまり、ダブルになってい たのである。したがって、総計2MBのメモリが使用されていた。

今、2MBバイトなんて、今じゃゴミみたいなものであろう。パソコン用の 大抵のグラフィックボードにはそのくらいのメモリは載っている。だが、考え てみろ、今から15年以上も前に、2MBのメモリ装置を作るのがいかに大変 かを。それも、ただのメモリではない。VRAMが2MBなのである。このV RAMの装置は、 幅4メートル、高さ2メートル という巨大な箱(本当のところは良く覚えていない)、だいたいあの名機だっ たVAX−11/780くらいのサイズはあっただろう。そう、まだVAXが 発売になる前であった。だから、1970年代後半のことである。

この巨大VRAM装置の裏に回って、箱の裏の扉を開けて、中のボードを見 ようとしたが、あまりの凄さにびっくりしてしまった。マザーボードから出て いる配線がラッピングされていたが、まるで編み物というか、織物をみている ような感じにビッシリと線が織りなされていたのである。

この装置、画像処理装置の草分け的な装置でだったのだ。通産省のプロジェ クトであった。確か、電子立国日本を目指した超LSIの国家プロジェクトと 平行して行われていたように記憶している。そうそう、このプロジェクトは、 パターン認識 というお題目がついていた筈だ。

この装置で、フルカラーのディスプレイの前に座って、毎日毎日テストパタ ーンみたいな、なんとも味気ない絵を飽き飽きしながら出しては、デバッグし ていた。もちろん、自分で作ったプログラムのデバッグであるが、画像処理の プログラムであるからにして、データを追っかけても殆んど訳が分からない。 それで、画面に各種の画像処理フィルタなどの出力結果を出しては確認をやっ ておったのだ。

で、時々、画面に水平に短く、色がそこだけ変になったりするのである。そ れで、またプログラムを間違えてしまったかと落胆してデバッグに取り掛かっ たが全然原因が分からない。いろいろ操作しても、いつも同じ位置だけが色が 変になっている。もしかして、これはソフトのバグではなくて、VRAMの一 部が阿呆になったのであろうと思い、この装置のハードウェアを管理している 人に言うと、メモリがオシャカになったのだという。

たった2MBのメモリであるが、当時のRAMはチップ1個に、たったの1 Kビットか、もしかしたらそれよりも少量しか入っていなかったと思う。もし 1KビットRAMだったら、RAMだけで16000個のチップの中から壊れ たチップを取り換えるのである。どのチップが壊れたかは、画面の表示の異常 な位置の座標から、チップを割出して、そのチップだけをピンポイント取り換 えをするのである。

それにしても、私が今使っているディスプレイの情けないこと。選べる色の 数が64000分の1になってしまった。物凄い色貧乏になってしまった。非 常にしばしば、 もう色が無いでっせ という悲しいメッセージが良く出る。


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