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ワープロなんぞで文章が書けるか

1996年3月9日

ちょっと出張していたためもあり、今日が3月最初である。

その出張の間に爆発的なアクセスがあったことは、 アクセスランキングに書いておいた 通りである。今日は土曜日ということもあって、やっと平静になりアクセスが 減っている。といっても、1500アクセス位を今日1日で達成してしまうだ ろう。現在午後3時であるが、既に831なんだから。

まあ、今の時代は、ワープロやらエディタやらでHTMLのファイルを用意して、 自らホームページを持って、何でもかんでも自由に発表しようと思えばかなり できてしまう世の中になってきた。でも、あちこちのページをさまよっても、 画期的なのはないねー。

というわけで、ワープロやパソコンなどを使って文章を書くのは当然の時代 になった。しかし、今から十数年前には、そうではなかった。

当時、私は、電子立国でも紹介された某出版社の系列会社にいて、技術責任 者とかいう何の責任をとればいいのか分からない仕事をしていた。そして、当 時は、やっと300万円もする富士通の巨大な初代オアシスが会社にやってき た頃である。

そういう会社であるから、もちろんのこと編集部がある。雑誌や本の編集、 それもパソコン関連のものを編集する編集部があった。でも、そこの編集部の 部長様が、

ワープロなんぞで文章が書けるか

と言っていた。やっている仕事から考えれば、たとえ自分でキーボードを叩 けなくても、ワープロ推進派の振りをしなければいけない訳だ。でも、根が正 直なものだから、つい本音が出てしまったのであろう。

まともな、人様に読ませる文章は、決して機械では作れない。あんな機械で 作った文章は文章でない、というのが普通の考えであった。まあ、そういう人 間は機械に触りもせずに言っていたのであるが。だから、発言そのものが相当 おかしいのである。

私といえば、他の仕事など無視して、まずはオアシスキーボードに慣れるた めに、オアシスに附属している練習用ソフトで数日特訓した。とにかく、入力 の速さには、当時の8ビットオアシスですら驚いた。でも、さすが変換させる と、フロッピィーがガチャガチャ音をたて始めていた。

社内でも、技術部門の人を除いては、ワープロに関してはあまり関心がない ようであった。私がワープロで遊んでいると露骨に嫌な顔をする連中の多かっ たこと、多かったこと。まあ、社長をはじめ、管理職の連中からは冷たい視線 を浴びてしまった。まあ、そんなことにはめげなかった私だが。

その後、FM−11なんていう富士通のパソコンが来たとき、それについて いたしょぼいワープロの辞書ファイルの中身を覗いて、どういう構成になって いるか調べてしまった。まあ、あちゃー、というような酷さだったが、当時と しては、仮名漢字変換がパソコンで万一できるだけでも素晴らしかったのだ。

話を戻そう。当時、物書きの間では、ワープロの評価は滅茶苦茶に悪かった。 某編集部部長様がのたまわったことは、当時としては普通のことであった。時 代の流れに取り残される人間の、ごくごく一般的な発言であった。

今では、ワープロなりエディタで入力していない原稿なんか、よほどの大物 でない限り相手にされない。あるいは、よほど面白い原稿で、ベストセラー間 違いなしという場合以外、印刷されることはありえない。今では、過半数の作 家がワープロで書いているらしい。そういう時代になってしまったのだ。

さて、そういう往年の某編集部部長様が、風の噂で、いやインターネットの 噂で、何とインターネットプロバイダで働いているというのを知ってしまった。 何で、どうして、何故に彼がプロバイダにいるのか不思議で仕方がなかった。 どう考えたって、彼にインターネットの仕組みが分かる訳もない。なのに、イ ンターネットの営業責任者だって。そんな馬鹿な。

う〜〜〜ん、世の中、着実に変わっているんだ。

でも、もう親会社の方に帰られたそうだ。まあ、プロバイダが親会社からの 手取り足取りのサポートを受けずに、自分の足で立てるようになったと判断し ての引き上げなんだろう、きっと。


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