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ソフトウェア・コンテスト

1996年4月8日

今は春。東京は桜も満開である。でも、まだ今年は花見をしていない。もう、 社会人になってから(といってもいつからが社会人なのかも良く分からない人 生を歩み続けているが)何度も春を迎え、桜が散って行くのを眺めた。

そういえば、散っていくといえば、散っていったパソコンの数も限りない。 売れた機種よりも、はるかに多くの機種が設計され、華々しく宣伝が行なわれ、 鳴り物入りで発売されたが、全然売れなかった製品は数限りない。

そんなことは当たり前である。まあ、これが自分と全く無関係の製品であれ ば笑って、「馬鹿め」と思って楽しんでいられるのであるが、この業界に身を 置いていると、いろいろそういう製品の誕生とニアミスしたり、体当りされた りしてしまうものだ。

某社のパソコン、全然売れなくて、某出版社に何とか売れる方法はないもの だろうかと泣きついてきた。そう、私はそこの某という名の出版社にいた訳だ。 売れない理由は簡単だ。私だって自分では使いたくないような物だったから、 友人知人には絶対に勧めない。それを、まあ、仕事の上では、売れるように何 かをしてあげなくてはならない。

で、考えついたというか、誰かが決めて、メーカーが飛びついたのが、パソ コンのソフトウェアコンテストである。優秀な作品を作った人にはパソコンを 献上しようというだけではなく、もう作りたい人にはパソコンを貸そうという 決断まで下された。

内心では、こないなパソコン借りたい人もいるんかいな、と思っていたが、 日本全国広いもので、数百名もの応募があったと話しに聞いた。

まあ、それはいいのだが、ソフトウェアコンテストなんちゅうものをやると なると、企画の連中は企画をするだけである。まあ、コンピュータを使えるの は技術部の方になるので、全部のしわ寄せがやってくる。まあ、他の部に任せ て、話がおかしくなってから、ねじれを戻すくらいなら、はじめからしわ寄せ を覚悟したほうが、作業は楽になる訳で、大部分がゴミに決まっているソフト をパソコンにセットし、評価を行なう。

まあ、この作業が大変なんだ。当時はまだ、フロッピィディスケットも普及 していず、普通のカセットテープにプログラムを録音していた太古の昔の話で ある。だから、ピーピー、ガーガーという音が入っているのだが、録音するテー プレコーダーのメーカーによって音に特徴がある。だいたい録音したメーカー と同じメーカーのテープレコーダーで再生すると読み取れる。しかし、録音と 再生のテープレコーダーのメーカーが異なると、うまくプログラムをロード出 来ない。

はじめのうちは、随分これで苦労したのであるが、そのうち、音を聞くだけ で何処のメーカーので録音したか分かるようになってしまった。こんな馬鹿な ことに馴れても、今では何の自慢にもならない。

滅茶苦茶困るのは、プログラムを、鉛筆で紙に書いて送ってくるやつである。 こんなもん、評価以前で没に決まっているではないか。まあ、その他にも、是 非応募したのを返して下されとか、いろいろな指示があって、もう、作業をやっ ていた当事者はたまったものではない。

プログラムは全部BASICであったが、まあ、インタープリタであるから、 バグの残っていること、ぞろぞろと出て来る。構文エラーで止まることはしば しば。まあ、面白そうなプログラムの数がそんなにない中から、それなりのを 選ばなければならないので、まず、プログラムの質もさることながら、テーマ の良さ、目のつけどころ等を基準に選ぶ。バグについて文句をいっていたら、 殆ど全部没になって、当選者が規定の数にならなくなる。

それで、良さそうなのが決まったら、デバッグをしてあげるのである。分野 が多岐にわたっているので、もう滅茶苦茶に大変である。それでも、何とか電 話を使ってデバッグをしていく。相手がプロではないので、電話でデバッグを 進めるが難しい。

そんな、こんな、まあとんでもない苦しみの上にコンテストも終了させ、優 秀なプログラムを選び、本1冊をでっちあげるのである。中には、デバッグの 殆どをこちらでやったようなのもあるが、そんなことは本の中には全然書かれ ていない。

そうして、その本が書店に並び、それを見てそのコンピュータが売れたのか どうかは私は知らない。しかし、確か「300台ものコンピュータがはけまし た」とかいって、某メーカーの工場長がお礼参りに来たという噂が洩れ伝わっ て来た。

「えっ、たった300台だぜ」と思ったのであるが、そのメーカーには30 0台は大きかったのだろう。まあ、もっともっと少ない台数しか製造できなかっ たパソコンのことも知ってはいるが、それは、そのうち。


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