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テレビに接続できる電卓の販売実績

1996年6月21日

前回まで、「引越奮戦記」であった。引越しは、とにかく大変である。でも、 世の中には、引越が趣味という人もいるようであるので、世の中は広いもので ある。

前回は、 「私は何処に引っ越したでしょうか?」 ということであったが、どういう訳か、今回は応募がなかった。色々状況を 細かく書いたのであるが、東京郊外はどこも似たようなものか、想像がつかな かったのか、都落ちを哀れんでか、とにかく応募が無かった。

その後、今週は、西の方に旅に出ていたので、更新ができず、毎日、毎日、 アクセスがぐんぐんと落ち込んでしまった。まあ、人の噂も75日どころか、 75時間くらいらしい。その間に、ちゃんと新情報を提供しないと、皆逃げて しまうようである。

でも、まあ、まだ段ボールに囲まれた生活が続き、必要な本どころか、その 他日常生活に必要な物さえ未だに発見出来ない物が沢山あるような状況である。 読書感想文を書きたくても、肝心の本は、殆どが段ボールの中である。何故か と言うと、まだ本箱を買っていないので、並べることさえ出来ない。

………という話をしても、永久に続くので、終りにして、また年寄りの昔話 を再開しようと思う。

今を去ること十四、五年位であろうか。その頃は、一時電卓の方も担当して いた時期があった。電卓からワークステーション、UNIXまで何でも担当し ていた良く分からない時期である。

某IBMコンパチマシンメーカーが、当時画期的な電卓を設計したのである。 電卓の形をしていて、電卓として使える電卓である。十四、五年位前には、も う電卓は一般化していて、特別なものではなかった。当時、プログラム電卓ブー ムが起こり、そのメーカーも単なる電卓ではなく、プログラム電卓にしたので ある。

ここまでなら、どこにでもある話である。電卓であるから、液晶表示がつい ている。しかし、ちょっとでもプログラムを組もうとすると、狭い液晶でプロ グラムを組むのがいかに大変かは想像できるであろう。とくに、当時の液晶は 狭くて、表示は1行かせいぜい2行しかなかった。

さて、このプログラム電卓、電卓よりはるかに巨大なテレビに接続し、液晶 表示と同じものをテレビに映し出すことができる画期的なものであった。そう、 液晶とまったく同じ表示が画面に出るのである。

そこまでの発想は良かったのかもしれない。そして、製品は完成し、マニュ アルもでっちあげ、大々的に発売開始になった。

で、販売実績の方であるが、実は、全然売れなかった。確か、数十台生産し ただけで生産中止になったと後で聞いた。ラインでの生産ではなく、試験的に 手で組み立てるので十分だったそうである。数十台生産したもののうち、実際 に客が金を払って買ったのは、実は数台とかいうことも後で漏れ聞いた。

なんで、こんなにまで売れなかったのであろうか。当時も、S社とC社が市 場を独占していたのは今と同じである。もちろん、後発メーカーが十分な宣伝 をしなかったり、知名度が低かったとかはあるが、それだけでここまで売れな かったことの十分な説明にはならない。

まあ、私は発売前に触っていたが、たかが電卓を使うのに巨大なテレビを使 うのが如何に不便かは味わった。しかし、もっと唖然としたことがあったので ある。電卓を使うと分かると思うが、電卓の表示はパソコンなどに比べると十 分に遅いのである。

当時、既に横80文字の画面表示は一般的になっていたが、このプログラム 電卓を使うと、まるで今の文字放送のような大きな文字で画面に表示されるの である。まあ、なんといったって、これは所詮プログラム電卓、パソコンのよ うな表示を期待する方が無理である。

とここまでは納得するのであるが、もう一発がっくりすることがあったので ある。とにかく表示が遅いのである。文字放送で文字がタラタラと送られてく るような感じでしか表示できないのである。そもそも、電卓の表示が遅いのは 知っているであろう。テレビを繋いでも、結局電卓の液晶表示の速度に制限さ れてのんびり表示するのである。当時の液晶の画期的遅さを考慮して想像して いただきたい。だから、ちんたら、ちんたら、といった感じでしか表示しない のである。これを一度見たら、まあ買いたいと思う人はいなくなるのではない かと思う代物であった。

一応、大手メーカーが商品として売り出して、このプログラム電卓よりも売 れなかったという商品を私は知らない。


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