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私の行く処、何かが壊れる

1996年9月3日

おかげさまで、このところがんがんアクセスが急増している。あまりにアク セスが増えすぎて、回線がパンクしたり、何かトラブルが起きるのではないか と心配しているが、それも御愛敬ということで、どんどんアクセスして、どう いう現象が起きるのか、じっくり見てみたいと思っている。

最近、「私の行く処、何かが壊れる」と言われている。困ったものだ。私自 身は、何も自ら壊そうとかしたことは何もない。まあ、せいぜい中古マンショ ンをやっと手に入れたが、冷蔵庫置場が狭くて持っていた古〜い古〜い冷蔵庫 がどうしても入らないので、仕切りの板をベリベリと壊したくらいである。

それ以外のものについては、一切私の影響はないはずなのに、次ぎから次ぎ へと壊れるので、妻までが何もするなと文句を言うようになった。

まず、最大の破壊は、新聞やテレビでも報道された東京都目黒区駒場1丁目 のマンション建築現場でクレーンが倒れたことである。じつは、このマンショ ンに面し、かつクレーンで潰された家に面している道を私はときどき通過する のである。まあ、月に1、2回程度であるが、その工事現場に面した道路を通 ってその付近のある場所に行く訳である。

たどりついた部屋から工事現場の方が見えるので、ときたま見ていたのであ る。全部で3本のクレーンが見えるのであるが、1本がどうもかなり斜めに傾 いていて、何だか危ない気がしていた。もちろん、それが倒れたクレーンであ る。

まあ、遠くから見ていても、「危険かな」と思われたので、それ以来そのク レーンの付近は通過しないようにしていた。何と言ってもその場所は、井の頭 線の駒場東大前の駅から、駒場エミナースという大手結婚式場の方向へ抜ける 主要な道なので、普通に歩けばそこを通るのであるが、できるだけ避けるよう にしていた。

さて、今日、ちょっと新聞を読み直して、より正確な情報を得て来た。倒れ たのはクレーン車だった。しかし、40メートル級のクレーン車であり、とて も大きなものである。このクレーンのアームの付け根が折れて倒壊したそうだ。 倒壊は、8月15日午前2時頃で、その日は台風が接近しており、東京では最 大瞬間風速16mであったらしい。

というわけで、クレーンが斜めに見えたのはクレーン車だったから、当たり 前のことである。だから、斜めになっているから危険と考えてしまったのは私 の早とちりだったらしい。

しかし、もし倒れた時、道路上に倒れて来る危険性があると感じたのは実際 に倒れたことによって確認できた。

でも、別の、最大の疑問が沸いて来てしまった。クレーン車なら、台風が来 ることが分かったら、アームを立てて風をもろに受けるという危険なことをせ ず、アームをしまえばいいと思うのだが、どうなんだろう。それに、8月11 日から18日までの1週間は工事は盆休みの予定だったらしい。それなら、な おのこと、盆休みの間もクレーンを立てておくというのが理解できないなあ。 立てておくだけで十分危険なのに、世の中分からないことだらけだ。

まだ文京区に住んでいた頃、道を歩いていて、ふと上を向くと、頭上をクレ ーンにより建築資材をワイヤーでつり上げているのに気が付いて、 ひぇ〜 と思って逃げたことがある。通行人を止めもせず、防護施設も設けず、平然 とクレーン作業をしていた訳で、とんでもない奴であるが、こういうので事故 に巻き込まれても、結局痛い目を見るのは巻き込まれた側なので、危険な可能 性のあるところにはできるだけ近付かないようにしていた。なんせ、私は勇気 がないからね。

その他、家でさまざまなことが起きたことは 『引越憤慨記( 8月2日8月3日8月5日) 』 として前に書いた。その後、アフターサービスの充実のためか、修理状況に ついてのアンケート葉書が来ていたので、文句を書いて送っておいたが、まだ 応答がない。まあ、どうでもいいや。もう拘らない方がいいか。

それから、先日、三軒茶屋のネットワークセンターに立ち寄ったとき、一緒 に遅い昼食を食べに行ったのである。で、料理が出て来て食べていると、料理 を作り終えて手のあいた主人が電話でなにやら物騒なことをしゃべりだした。

先日の雨で、雨漏りがして、雨水が配電盤の中に入り、漏電し、ビルの2階 から4階までが停電してしまった。漏電ブレーカーは壊れてしまったので、見 てくれとかいう話をしていた。

以前なら、こういう話を聞いても、いつものことだと思っていたのだが、 『引越憤慨記』以来そういうことが身の周りで頻発しているので、食事の手が 止まってしまった。


追記 9月4日

昨日、いくつか書き残したことがあったので、ここに追記する。それは、あ のクレーンで潰れた家のその後である。

残念なことにカメラを持っていなかったので、撮影していなくて、イメージ をここにのっけられない。まあ、東京大学駒場の学生さんが近所であるので、 撮影してホームページにでものっけておいてくれると嬉しいなぁ。

さて、工事は当分停止らしい。まあ、当然か。それから、これまで、あのマ ンションの販売広告は相当広範囲に配られていたらしく、私の家の新聞にもよ く入っていた。が、あの工事以来、ぱったりと見られなくなった。これも自粛 なんだろう。

まあ、それより、クレーンは、モデルルームと民家を押し潰したのであるが、 モデルルームは跡形もないように奇麗に修復されていた。まあ、跡形があって は、誰も買う者もいないだろうし、それに今は、本当に予定通りに入居できる かどうか既に申し込んだ人は心配であろう。

民家の方は、仮の補修が行なわれているだけであったのは、非常に印象的で あった。塀も全体が倒れたのではなく、クレーンに直撃をくらわされたところ だけがコンクリーの色が新しく、凄まじさを思い出してくれる。

警備員の多くは、この民家の周りに立っていて、工事現場を警備していると いうより、今は民家を警備している状況であった。


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