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パンチカードは苦手だった

1996年11月14日

私のホームページも、ずっとハイペースのアクセスが続いて、もうじき累積 80万になってしまう。たぶん、年内に100万ヒットというのは、かろうじ て実現できそうである。

ちょっと、本ページの目次を眺めてみたのだが、最近また過去の話が少なく なってしまったので、淋しがっている読者もいるだろう。今日は過去の、私が コンピュータなる恐ろしいものを始めたころのことを書こう。

今では、プログラムの入力は、画面に向かって、直接キーボードを叩くのが、 あるいはカット&ペーストでコピーのしまくりが常識である。私がコンピュー タを始めたころは、コンピュータ会社、さらには大企業のコンピュータ室にす ら十分な端末がなかった。

まだ、TK-80が出たばかりの頃であり、ブラインドタッチできるプログラマ など極めて珍しい存在であった。でも、まあ、私は中学時代にタイプの練習は していたので、ブラインドタッチできたし、仕事仲間も大半はブラインドタッ チしていた。まあ、自分で勝手にマイコンを組み立てたり、企業や政府機関の コンピュータを夜々使っていた連中だからである。

そういう時代の入力の中心は、カードである。上質の紙のカード1枚に、たっ た1行80文字しか入らないのである。プログラムやデータを1行ごとにこの カードに打ち込み、カードリーダーにドカンと置いて読み取ってもらうのであ るが、紙の角にちょっとでも傷がついていると、すぐに紙詰まりを起こしたり、 せっかくのカードをぐちゃぐちゃにしてくれて、二度と使えなくなる。

この時代は、キーパンチャー全盛の時代である。普通、プログラマは、コー ディング用紙と言う、1行80文字のコンピュータ用原稿用紙というものに、 鉛筆でじっくりと時間をかけてプログラムを書くのである。

このコーディング用紙に書いたプログラムを、カードの束にしてもらうため にキーパンチャーに頼むのであるが、もちろん費用がいる。まあ、私の場合、 開発の関係であり、出せばどんどんキー入力してくれるキーパンチャーを会社 がかかえていたりしていたので、直接の費用は発生しなかったが。

そして、できあがったプログラムの束、確か2000枚(行)で、50セン チ位になるのではなかったかと思うのであるが、すべてのことは忘れた。でも、 とにかく重かった。紙の束は鉄より重いのであった。

この束を抱えて、デバッグをするのである。主に、アセンブラを使っていた ので、束を読み込ませて、アセンブルリストを印刷し、デバッグしながらバグ を見つけて行く。

問題は修正作業である。今のように、その場で修正などできなかった。まあ、 パッチを当てる。とりあえず、その場しのぎの短いプログラムを、メモリの空 き領域にちょろっと書いて、そこへ飛んで行き、また戻ってくるようにして、 とりあえずテストを続行できるようにして、できるだけ情報を、予約で確保し たマシンの割り当て時間内に収集するのである。まあ、パッチワークの下手な 人は、非常に作業効率が低下するのである。

さて、そうして見つかったバグや、その他の修正や追加を行なうのであるが、 変更部分の行だけを新たにパンチして、カードを入れ換えるのである。この入 れ換えがなかなかの作業なのである。まあ、このカードの入れ換えのためのテー ブルが用意されていたりしたもんだ。

この差し替えのためのキーパンチは、あまりにも量が少ないので、デバッグ している人がパンチすることもあったが、私は非常に苦手であった。あのキー パンチのマシンは分かりづらい。1枚打つのに、3枚、4枚と失敗することは しばしばであった。私はプログラマには向いていないのかと、悲嘆にくれ、転 職まで考えるなんてことはなかったが、好きにはなれなかった。

そうやって、やっと出来上がったカードの入れ換え作業は相当面倒だし、危 険でもある。アセンブルリストとカードの山を比較して、入れ換え部分を特定 し、差し替える。この入れ換えの途中、あるいは入れ換え後にカードリーダー に設置するまで、あるいは取り出しのとき、カードを落すことがあるのである。

カードは並んでいる順番が非常に重要なのである。落しても、あまり順番が 乱れないこともあるが、勢い良く落してバラバラになると、不毛な長時間労働 が待っているのであった。

もちろん、私は大量に落したことななかった。それに、落しても素早く元に もどせるように、カードの束の上に、斜めにマジックで直線を引いていた。し だいに色々な色で、色々な所に引くので、早くデバッグを終了しないと、カラ フルになってしまっていたが。

1970年代の末期には、そろそろカードからオンラインに変わろうとして いた時期であった。でも、当時の上司たちは、目で見える物であるカードに絶 対の信頼を置いていて、端末からプログラムを入れることに拒否反応を示して いた者も多い。

私は、1978年から完全にカードから離れ、端末からの入力になった。そ して、1979年からVAX−11/780を使うようになり、スクリーンエ ディタ(EDT)を使うようになった。


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