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今年はインターネットがやっと立ち上がり始めた年

1996年12月31日

今年は今日で終りである。つまり、今日は1年最後の大晦日である。だから、 朝から年賀葉書を作り始めたのであるが、何しろ私の持っているカラープリン タは、高印字品質にすると非常に遅い。通常印字にすると、スピードはまあま あなんだが、相当に汚い。それで、しかたなく、高印字品質にして印刷したの だが、非常に時間がかかる。いやいや、まだ印刷中である。

さて、今年の締めくくりをやっておこう。

何と言っても、JAVAである。今年は、これで 始まって、これで遊び惚けて、1年を棒に振ったようなものである。でもまあ、 私のような者にも簡単に使える便利な言語であることが分かった。

JAVAを始めたのが、今年の2月20日である。こっそりと、誰にも知ら れない様にと思って、本を1冊買って来て、勉強をしていたのである。それが、 いつの間にかというか、あっと言う間に、仲間内にばれてしまい、

「ええい、もうこうなったら、いくらばれても構わん」

という気になって、遂に公開することにしてしまったのである。最初、何を 作ろうかに非常に頭を悩まし、ああでもない、こうでもないと思い、なんてこ とはもちろんなく、始めからパズルを作成する以外にJAVAで作るものなど この世にある訳がない、ということで作成した。

最初は、簡単そうな 「ナンバープレイス(数独)」 から始めた。これが試作第1号である。最初は、どのくらいのことができる のかな、と疑いながら作り始めたのであるが、意外にも私にも動くものが出来 てしまった。ついついサービス精神を出しすぎて、最初に作ったものは、入れ られない数字は押せないようにしてしまったら、ヒントの出し過ぎで、考えも しないでつんつん数字ボタンを押していくだけで、猿でも解けるようになって しまって、クレームがついてしまった。

そのために、必要以上のサービスは削除するようにした。ただただ、鉛筆と 消しゴムの代わりができるようにするのが一番のようである。鉛筆も消しゴム も要らなければ、消しゴムカスも出ない清潔なパズル、 手が汚れないパズル となったのである。

もちろん、試作第1号の時から、JAVAソースも全面公開している。もち ろん、目に入れれば痛いようなプログラムであるにもかかわらず、多くの人が 見たようである。まあ、見るのはいいのだが、それを参考にして、JAVAプ ログラムを作った人々がいたらと思うと、穴に隠れてしまいたいではないか。

さて、そういうふうにしながら、10ヶ月位の間に、全部で7種類のパズル が完成した。ハイペースの時には、1ヶ月に2つも作っていたのである。よほ ど仕事にあぶれていたのであろう。我ながら暇だったのである。

まあ、JAVAは、これからもどんどん普及するであろうし、JAVAに代 わる適当なものも今のところ見当たらない。私はJAVAは好きだから、今後 もこれで色々作っていこうと思う。

さて、その他のことについて。まず、インターネットの普及である。非常に 急激な普及といえるが、他方では非常にゆっくりした普及とも言えるというの が今年のインターネットの普及に関する感想である。

今年の始め頃までは、インターネットって、それはなんじゃい?というのが 世間一般の捉え方だったようだ。春くらいから、「インターネット」という言 葉だけが一人歩きはするようになり、「インターネット」と言っても、それだ けで変な顔をされることだけはなくなった。

しかし、まだインターネットといっても実際には言葉だけであった。夏頃か らだろうか、個人でインターネットをする人々も増え、「インターネット=ホー ムページ」のような捉え方が一般的になったようだ。だから、今年の春から夏 にかけて、多くの大企業が、とりあえずインターネットでホームページを作っ ていないと遅れた企業と思われると恐れて、急にホームページを作り出した。

今年前半のホームページは、とりあえず作ったようなものばかりであった。 しかし、その後、ごく一部の企業のホームページは、どんどん情報を出すよう に変っていった。でも、大部分のホームページは、印刷物としての会社案内レ ベルから抜けられないようである。

その後、JAVAとSHOCKWAVEが出回ってからは、どんどん動く絵が流行ってき た。とにかく人目を引くために、絵が動かなければいけないんだ。文章などど うでもいいんだ。ど派手なイメージで、人を引き付けさえすればいいんだ、と いうものが多くなった。

阿呆なプロバイダなどは、プロバイダのホームページの最初に、非常に巨大 なイメージを張ったり、動く絵を入れたりして、データのサイズをどんどん肥 大化させて、接続時間が長くなるように企んでいるのではないかと思ってしま うのは私だけであっただろうか。まあ、遅い回線しかないところ、だれにも見 てもらえないところに限ってその傾向が強い様だ。

それから、仮想商店街、サイバーモールとかいうやつであるが、どんどん出 来て、どんどん廃虚になってしまったようだ。まあ、見るも無惨な商店街が多 いのは誰でも知っているだろう。本だけしか読んでない者に、テレビでオンラ インショッピングでスーツが便利に買えるような印象を与えようとしていたが、 まあ、ほとんどの商店街の店には、ほんの数点の商品しかない、ほとんど倒産 寸前、あるいは倒産処分品だけを売っているのかと思うような状況であった。

インターネット上なんだから、店には並べられないくらいの物を並べて欲し いものである。下手な飾りなど不要である。なんだったら、表だけでもいい。 文字だけでもいい。それとも、商品がないことが仮想商店街ということなんだ ろうか。

でも、まあ、今年は、私のホームページへのアクセスは非常に増えた。年初 は月に数千ヒットだったのが年末には十数万ヒットになった。1年で約40倍 に増えた訳である。

この増加も、時々、私のホームページをメーリングリストなどに誰かが流し たことで急に見に来る人が増えて、というのを何度か繰り返したのが効いたよ うだ。本や雑誌にも何度もホームページは紹介されたのであるが、それらは徐々 に増えたかもしれないが、メーリングリストでの紹介は、メールが配送されて から数分間でどどっーっと押し寄せて来るので、非常に危険な紹介方法である。

最後に、インターネットとビジネスについてであるが、年末ころになってか ら、やっとビジネス的な動きが出始めて来た。でも、まだまだ多くの企業、そ して官庁、地方自治体にはインターネットへの誤解が激しいようだ。そこまで ならまだいいのだが、大学の中にも、インターネットから落後しそうなところ が多数出ているようである。産官学でインターネットを主導しようなんてのは、 誰が見たって、小学生にだって笑われかねない状況である。

一番理解が速いのは個人のようである。個人差が激しいのは当然としても、 女性がどんどん出て来たのは好ましいことである。いままで、インターネット というと、理工学関係の人でないとできないような印象が強い様だが、一番の 誤解であり、これが何とか直らないと将来がない。私の印象としては、一番確 実にインターネット社会、つまり情報発信社会から落ちこぼれるのが理工学関 係の人間ではないかと思っているのだが。といっても、これは古い意味での理 工学である。

そもそも、インターネットには、理学も工学も何も必要などない。やってみ るだけだよね。私もちょっとやってみて、ちょっと書いてみたけど、見た人か らの反応があるというのは非常にいい。これが、芝居をやっているときの客席 からの反応みたいなものであろうか。

せわしない1年であった。インターネット、インターネットと騒がれ続けた が、その割には何もたいしたことは日本では起こらなかった年であった。まあ、 1995年は、物好きのためのインターネット元年で、1996年は、一般人 にとってのインターネット元年であったようだ。「インターネットって何だ」 という意識だけ植え付けられ、本屋に行って、どうせ中身はほとんど同じでカ バーだけ変えたような本を手に取って読むというビジネスマンが多かったこと と思う。

1997年は、もう少し実体の伴ったインターネットの年になって欲しいも のである。

私は、これから、除夜の鐘を聞きながら、古い98へWindowsをインストール するのと、子供にJavaプログラミングでも教えようかと思っている。

では、良いお年を。


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