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高度情報化社会と叫べど、いまだハードウェア偏重が甚だしい

1998年11月2日

10月は、何もしない間にというか、ただただ忙しい引っ越し騒動があり、 知らぬ間に勝手に過ぎ去り、もう11月になってしまった。しかし、10月末 に、またまた人を忙殺させるための企みがあることが分ったので、今月もまた 飛んでもない月になる可能性がある。でも、まだ決まったわけではないので、 ここにはまだ書けないのである。

さて、以前から、とくにここ10年ほどであるが、企業や組織のコンピュー タに対する認識の愚かさでうんざりしていたことがある。いまも、同様のこと がずっと続いているので、ちょっとここに書いておこうと思う。

それは、ほとんどすべての企業や組織が、コンピュータあるいはインターネッ トを利用して何らかのシステムを作ろうとしたとき、ハードウェア、とりわけ コンピュータに金をかけるのである。高性能なコンピュータを購入しようとす る、あるいは私のようにシステムを作る側からすると、高性能なコンピュータ を用意してくれるのである。正しくは、高性能なコンピュータというよりも、 高価なコンピュータと言った方が正確である。

全予算の半分くらいがハードウェアに取られ、残りでソフトを買ったり、プ ログラムを開発し、データを生成し、テストまで行ってくれというのが多いの である。ハードウェアはどんどん性能が向上し、うまく選べばそうとうチープ なコンピュータ、たとえば10万円で組み立てられるコンピュータで十分なこ とも少なくない。

とくに、ウェッブサーバーにするなどというと、何百万もするコンピュータ でなければ絶対に負荷に耐えられないと思うのか、はたまた立派なコンピュー タを会社の玄関に、あるいは受付嬢の隣に格好良く飾り付けたいためか、やた らに高価なものを買おうとして困るのである。お客に、高価なコンピュータを 買わせるのをいかにして止めさせるかが重大な問題なのである。

なぜかというと、高価なコンピュータを買ったため、もう残りの予算が少な くなってしまって、ソフトウェア開発とか、システム構築は高価なコンピュー タのしわ寄せを食ってしまい、こちらはおかげで無償労働を強いられることが 多々あるのである。ハードウェアは安くなったと騒がれてからも久しいはずな のであるが、いまだにハードに過半数の金が食われてしまうことが多いようで 情けないことである。

ウェッブサーバー程度をするのなら、この世のほとんどのホームページは中 古パソコンで十分に間に合いすぎる程度の状態である。私のホームページが置 いてある2つのコンピュータはいずれもパソコンにPC-Unixを入れて運用して いる安直なヤツであるが、とても安定して動作している。皆さんが私のホーム ページで暇を潰そうとしすぎるために回線がパンクしてしまったことは何度も あるが、それでもコンピュータの負荷はせいぜい数%程度もないのではないだ ろうか。普段は、1%以下の負荷、つまり99%はコンピュータは暇だ、暇だ とあくびをしている状況である。

私のホームページですら、10万円程度のパソコンにフリーのPC-Unixをイ ンストールして運用しているのであるから、よほど特別の目的でもない限り会 社の倉庫に眠っているコンピュータ程度で完璧な筈である。有料のウェッブサー バーマシンを、もらった大昔のパソコンをちょっと調整して作って金を取ろう とか思ってしまうが、一応今のところは思い止まっている。古い486のノート パソコンでもサーバーにできるかなとか、いつもそんなことを考えてしまう癖 がついてしまった。

サーバーマシン構築には、高価なハードを使わないとお客が納得しないとこ ろがあって、実にやりにくいのである。ハードの価格にちょっぴり上乗せして 技術料を稼がないといけないというのは情けないお国柄である。だから、安い ゴミマシンで、地球環境にやさしいサーバーを作成すると、技術料まで取れな くなってしまうのである。ゴミで作っても、ちゃんと24時間運転できるところ が腕だと思うのだが、日本ではハードの価格に上乗せするのが技術料というも のらしい。

今や、日本全国、津々浦々、高度情報化を目指して、猫も杓子もなにかやろ うとしているようだが、費用の大部分がハードウェアに傾いてしまっているの は頭がまだ20年ほど遅れている為であろうか。ハードウェアなんか一番陳腐 化が激しい世界なので、購入は一番後回しにするのが上手な方法であり、パソ コンを良く知っている人々の間では、ハードウェアは必要になったときまで待っ て買うのが鉄則なのだが、どういう訳かかなり早い時期に用意するようだ。実 用に供するころには、価格が半分になっていることも珍しくない。

どうして皆がこうも早くハードウェアを揃えたがるのか良く分らない。個人 の場合にはそれほどではないのだが、会社、組織の場合には、とにかくハード ウェアという目にしっかりと見えて、触れるブツを買う。これは、必要だから 買っているのではなく、安心が欲しいから買っているのだろうか。ハードウェ アを購入すると、計画の半分が出来たような錯覚を持っているのではないかと 心配なのだが、多分それは当たっているのではないだろうか。

高度情報化社会で必要なのは、通信であり、ソフトウェアであり、さらにそ の先にある「情報そのもの」なのである。やりとりすべき情報についてのはっ きりした認識がないままインフラだけを整備してもどうしようもない。

そもそも、日本では情報についての教育がほとんど行われていない。情報を 伝える、情報を共有する、情報をやりとりすることの重要性を教えないでおい て、インフラだけをいくら作っても片手落ちというより両手落ちである。

いまだに学校の国語の授業は文学が中心であり、歴史は年号の暗記であり、 日本人女性が宇宙を飛んでいるという時代なのに英語の授業はシェイクスピア の解読を行っている。高度情報化は、コンピュータ技術や通信技術の習得で実 現できるものではなく、人と人との情報のやりとりをどうするかの問題である ことを忘れてしまっている。

高度情報化時代の中心はコンピュータ技術者、ネットワーク技術者との認識 を持っている人もいるかも知れないが、それはとんでもない誤解である。印刷 について考えてみよう。印刷は今までの情報化において非常に重要な立場にあっ たが、印刷技術を持った人と情報を扱っていた人は明らかに違う。情報を扱っ ていたのは、著者であり、編集者であり、レイアウターなどである。印刷器械を 操作していた人々が情報を取り扱っていたとは誰も誤解しないであろう。

だから、高度情報化社会では、コンピュータ技術者、ネットワーク技術者は 印刷技術者の立場、つまり陰で支える人々ではあるが、情報を産み、育てる人 ではない。間違っても、高度情報化社会は理系の社会などと思ってはならない。 情報のキャッチボールができる人、発信すべき価値ある情報を持っている人が 必要なのである。

以前、目的もなくパソコンを学習し、学習し終えたけれども何に利用するか が分らない者がいた。もしかすると、高度情報化、情報ハイウェイが完備され ても、「さて、なにに使おうかな」という状況になるのではと心配するのは杞 憂なのであろうか。


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