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高学歴社会は労働人口を抑制し雇用不安をなくすため

2003年4月19日

1990年代半ばであったろうか、某大学の教授を経由して、変な仕事の問い合わせが来た。 一応こちらが、ちゃんとしたパソコン初心者ということは知っていて、 ある超大手企業のコンピュータ部門が独立した大手コンピュータソフト会社で 働かないかという話であった。まあ、遊んで金をくれるなら、乗らないことは ないけれどと思って話を聞いた。 要するに、何千人もいるコンピュータ技術者を評価する仕事らしい。 そして、説明の最後に、「こういう仕事ですが、好きじゃないよね」と念を押 されてしまった。

そこまで知っているなら、わざわざよけいな声をかけなくても良いではないか と思ったが、万一ということもあると思ったのであろうか。 それとも、法外な給与をくれるのだったのだろうか。

しかしなぁ、私に判断させたら、それも大企業だったら、大混乱が起きるに決 まっている。なにしろ、努力する人には低い点数をつけ、仕事しているのかど うかさっぱり分からないけれど何か仕事は完成しているみたいな人に滅茶苦茶 高い評価を与えてしまう。横着をしているのに、ちゃんと動くエレガントな 手抜きぶりが技術者として最高だとずっと思ってきたので、 世の中の評価システムとは合わないと思う。

技術って、横着とか、人を出し抜くとか、要するに良からぬ魂胆があって進ん できたと信じているのだが、違うのだろうか。そう考えない人がどうして技術 を身につけられるのか不思議である。8時間かかる仕事を1時間で済ます技術 を身につけるために、延々と頭をひねったり、あれこれ調べたりして、1時間 で済ませる訳だ。1時間で完成すると、7時間は遊べるようになると思ったら、 なぜか別の仕事が追加されることがある。世の中、だいたいこういう風に理不 尽にできている。

さて、いくら金をくれても、技術者の評価をするのを仕事にするのは嫌だと逃 げ出したのだが、なぜか技術者の採用の面接に付き合わされている。 こんな筈ではなかった。困ったものだ。

さて、面接だが、今は不景気なのか、やたらに高学歴の人が応募してくる。 有名大学の修士課程、博士課程がちっとも珍しくなくなってしまった。 末は博士か大臣かと言われたのは太古の昔で、大臣はさすがになれる可能性は 少ないようだが、それに比べれば博士はそれほどでもないようだ。

有名国立大の修士、博士といえば、相当な能力が必ずあると思い込んでいたの だが、どうも最近は違うような気がする。修士は昔の学士と思った方が良いよ と言われたこともある。数から言えば、そんなものかも知れない。

どうせ私は学歴無視でしか考えていない。学位論文の内容について説明されて も、まず分かる筈もない。もちろん、博士論文どころか、もっと重要な論文で も書き直し無しですらすらと書き下してしまい、消しゴムの存在理由がわから ぬという化け物みたいな人は、それでもすごいと思う。確に、上の方は今でも すごいなぁと感心してしまうことは少なくない。要するに、ピンからキリまで そろっているようなのである。それとも、私が理解不能になっただけかも知れ ない。

某社の面接では、なぜか高学歴の方が、不合格になる確率が高いような気がす る。あえてそうしている訳ではない筈なのだが、プログラミング能力や、英語 などでも、高学歴者が意外とよろしくないのはなぜなのだろうか?

論文をいっぱい書いてきたはずだから、文章くらいはホイホイと書けるかと思っ たら、実はこれが一番苦手だという者が非常に多い。不思議である。

私は、やむなくマイコン関係の出版社の関連ソフトハウスに入ったのだが、 プログラムではなく原稿を書かされたり、そのうち編集部の名刺を作られ、 こっそり記者会見に記者とごまかして出席し、原稿をでっちあげなくてはなら なくなって、文章のでっち上げ方をやむなく勉強した。

学歴って、いったい何なんだろう?

仕事口はどんどん減少しているので、できるだけ社会に出るのを遅らせ、 労働人口を抑制することが社会的な重要課題で、 そのために高学歴社会に意図的にしているのだと言われたことがあるが、 正確な分析のような気がしないでもない。


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