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「話せば分かる」の意味の誤解と「バカの壁」

2005年2月27日

「話せば分かる」という言葉はよく耳にする。

その意味は、国家間であれ、会社、家族、個人間であれ、色々ないざこざ、 戦争、喧嘩等があるが、それらはちゃんと話し合っていないために、 相互理解が不足しているから発生しているのである。 だから、ちゃんと会議なり、話し合いを行うことで、相互理解が深まり、 なんだそんなことだったのかということで問題は解決するということである。 話せば世界は平和になる。

「話せば分かる」の意味って、いつからこうなったのだろうか。 「話せば分かる」と言われて、「相互理解」とか、「話し合い」とか答るのが 正解なのだろうか。

「話せば分かる」とは、五一五事件で、昭和7年の5月15日夕刻、 時の首相犬飼毅(犬飼木堂)が暗殺される直前に残した言葉として有名である。 歴史的に有名な語句であり、五一五事件、犬飼首相、暗殺などというのも 正解であろう。

以上の歴史から教えられることは、「話せば分かる」なんてことをやっていると、 殺されてしまうということではないだろうか。「話せば分かる」の本来の意味は、 言葉自体の意味とは正反対で、「話したって分らない。そんなことをしていたら 殺される」という意味に決っているのだが、五一五事件が忘れさられようと している今日、その意味が文字通りの意味に変化してしまっているらしい。 何とも誤解とは恐しいものである。

最近は養老猛司の『バカの壁』により、人間とは「話せば分かる」ものではない というのがやっと復活してきたので、ある程度救われている気がする。

さて、この「話せば分かる」をコンピュータやインターネットの世界にあてはめて みるとどうだろうか。延々とプログラムやホームページを作っても、 使ってもらえない、見てもらえないことの根本原因は、 言葉通り「話せば分かる」と思いこんでいるからではないだろうか。

努力して汚いプログラムを熱心に作っているプログラマに、 このプログラムは汚いと言っても、 まず聞く耳を持たないので、何の効果もない。 こんなに努力しているのに、とんでもないことを言う奴だと思われ、 嫌われることになる。しかし、これはまだ薄いバカの壁でしかない。

汚なくないけれども、まったく的外れなプログラムを作って自信満々の プログラマも少なくない。というか、そういう場合の方が問題は根深い。 この状態に、プログラム的に優秀な技術者が良く陥る。 使い勝手、有用性、面白さ、普及となっていくに従って、 使う側と作る側の誤解がどんどん増す。 増すくらいならたいしたことではないのだが、 そもそもそういう誤解が存在すること自体に気がつかなくなる。

この誤解は、説明だけでは残念ながら消えるものではない。 相当頑固なバカの壁が存在するのである。 プログラムにおいてバカの壁がなくなるのは、 使う側の形式的、表層的な理解ではなく、 本質的な、感性的な理解まで到達したときに可能になる。 要するに、両方のプロになれたときに分かるようになる。

このバカの壁を崩すのは、私のような初心者には無理だと最初からあきらめている。 いつあきらめたかさえ分からない程前にあきらめたので、 それが日常になって久しい。 それでも、一応バカの壁の存在を感じるように努めて続けてはいる。

SEの本来の仕事は、このバカの壁をなくすことである。 でも、そんなSEどこかにいるのかな。



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