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最近の大学は書かなくても良くなったのかな

2007年11月13日

秋であるが、なかなかすっきりした秋晴れという感じの日がないまま、 今年の秋は通り過ぎてしまいそうだ。 食欲の秋だが、若いときのように食べる訳にもいかない。 読書の秋といっても、急に秋になったら本を読むというのも難しい。 いつも同じペースで読むだけに過ぎない。

秋はいろいろなイベントが多く、ウィークデイに仕事ででかけるのも多いし、 土日にどこかに出掛けるのも多い。特に、10月末から11月末にかけては学園祭のシーズンである。 いくつかの大学にはこっそり行って楽しんでくることもある。 同一学内だけでやっているのよりも、複数の大学の学生がごちゃまぜでやっているインカレのクラブの活動が面白い。 また、最近は留学生がお国の料理を作って売っていることが多い。 昔と違って、日本の大学にも次第に国際化の波は押し寄せているようだ。 といっても、それはごく一部の大学に限られるのかも知れないが。

というようなこともあり、大学に、堂々と、あるいはこっそりと行くことがある。 先生方としか会わないこともあれば、学生を含めた研究会などに参加しそのまま飲んでくることもある。 いまだに某大学の無期限生協組合員証も持っていたりして、 社会人(?)の割には大学との縁がいつまでも続いている。

さて、話は変って、書く、それもかなりまとまったものを書くということについて考えてみよう。 社会では、やたらにプレゼンを上手になろうみたいな動きがあり、 書店には受けるプレゼンの作り方の本が多数転がっている。 確かに、一定のテクニックを身に着ければ、伝えたいことはプレゼンで伝えることはできるようになる。

しかし、プレゼンというのは、長くてもせいぜい1時間とかである。なんらかの要点を伝えるので せいいっぱいであり、きちんとした知識を伝えようと思ったら、文章を書くしかないようだ。 図、写真、場合によったら動画などを入れて、しっかりしたものを書くしかないようだ。 簡単な場合には、レポートとか記事のようなものになろうし、 しっかり体系だった知識を伝達したければ、本のようなものになろう。

さて、大学の話に戻ろう。大学では、論文を書くのが重要であるが、実験や調査などを行なったら、 なんらかのレポートを提出する必要が有る(有った)はずだ。 そもそも、論文を書き上げるということは、ちゃんとした文章が書けるように教育するという考えが 根底にある訳だ(もしかして、過去の話か?)。 知識なんて、どうせどんどん変わる。実用的なすぐに役立つ知識ほど寿命は短い。

それにひきかえ、文章を書くというのは、高等教育そのものみたいなものだ。 本1冊書こうと思ったら、かなり多数の本を読まねばならない。 変なことは書けないので、調べることも必要になる。 場合によったら、実験したり、試作したり、いろいろな作業を伴う。 関係者だけが読むのではなく、第三者に読んでもらえるようなものを書ければ最高だ。

高校生のころ、大学では、いやちゃんとした大学生は、論文を書くのだから、本くらいは書けるのかと思い込んでいた。 東京にやってきて、大学というものの実体が次第に判ってきたら、 そんなのはほとんどあり得ないことがわかってきた。

大学によりかなり違うと思うが、日本の大学ではあまり文章を書かせないようだ。 今、ネット上ではブログ、日記が流行っているから、 書くこと自体はだれもやっていない訳ではないが、 本のような、知識の大系化されたものではない。

むかし、日本にもすばらしいソフトが存在したが、 マニュアルを書かないための使われないまま闇に消えて行くのを見て来た。 一方、アメリカで、同様のソフトの解説書が出版される前に、 プリンタで印刷できる状態で入手できプリントしたら、何百ページにもなった。 しっかり、これでもかという程丁寧に書かれているのを見て負けたと思った。 技術ではなく、文章を書く能力で勝負が決まったと思った。

今も、情况は変らない。というより、どんどん悪化していると見る方が正しいだろう。 日本では、ソフトウェアを作る、要するにプログラムを作ることは熱心だが、 マニュアルをきちんと書いて、使いたい人に使える状態にするというのができないし、 その必要性を理解できる人はいまだにほとんどいないのが実情だ。 仕様書のようなものは書くが、良い入門書、手引書を書かない。 困ったものである。

「素晴しいソフトに下手なマニュアル」と「下手なソフトに丁寧なマニュアル」 があった場合、どちらが普及するであろうか。 明らかに、「下手なソフトに丁寧なマニュアル」が普及するのである。 致命的なバグは困るが、そうでないバグならマニュアルで避けることは充分可能である。 日本の教育は、正しいかどうかしか教えないので、重箱の隅をつつくような人を育ててしまう。 しかし、使いたい人にとっては、正しいかどかとか、重箱の隅はどうでもよくて、 どう使えば役立つかが知りたいだけである。

海外の大学では、たくさん書いて、たくさん読んで、というのが普通と聞くが、どうなんだろう。 大学では、書く力を鍛えるのが極めて重要だと思うのだが、日本ではないがしろにされていないだろうか。 たくさん書くと肩が壊れるので、もうやめよう。

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