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何の為に存在し続けるのか大学入試センター試験

2008年1月19日

今年も、今週末がセンター試験である。 センター試験に合せてか、いつもこの時期には寒波が襲ってくる。 センター試験が何か悪さをしているとしか思えない。

私が大学受験したころは、大学入試センター試験はもちろん、共通一次試験も無かった。 誰も大学へ行かなかった時代どころか、国立大学の中には入試を行わないところさえあったのだ。 戦後のどさくさではなく、学園紛争の嵐が吹き荒れていたころであった。

学園紛争は本来の目的を逸脱し、権力闘争、暴力などに走ってしまって廃れてしまった。 しかし、教育改革、大学改革ということも最初はあったように記憶している。 その後、教育学者(?)だった永井道雄氏を文部大臣にしたりして、 いかばかりかの努力はしたようにも見える。

しかし、この30〜40年を見る限り、残念ながら改革はほとんど行われていないに等しい。 社会は歴史のうねりの中で大きく変ったが、教育界は流れについていっていない。 断固たる思想や理念、主義主張があって流れに逆らっているのなら立派なのだが、それも見られない。

教育界というのは厄介な組織だ。 聖域という御旗で守られていて、誰も文句を言わない。 今後も誰も文句を言わないだろうし、自ら積極的に変ることもないだろう。 変るとすれば、外から、海外からの圧力だろう。そして、実際にそれが今起きつつある。 これについては、今日書くのはやめておく。

今、大学は、特色を持たねば先がないと言われている。 日本企業だって、社長からして外人になってしまうことが珍しくもない時代である。 当然社員は日本人という考えもどんどん薄れてきている。 そういう状況にあるので、大学を卒業したら、誰でも普通に就職できることは難しくなる一方だろう。 すでにかなりの大学で、卒業生の就職を諦めているようだ。 そのくらいならともかく、入学式の日に、卒業生の就職を諦めていることを表明する大学さえかなり以前からある。 現実を直視すれば、当然過ぎることだろうか。

さて、大学だが、最近は学部名、学科名がどんどん訳の分らないものになっている。 何を教えているのか見当も付かない。 いや、それどころか、大学当局だってどうしてよいか分っていないという。 人気の下がった学部、学科を再編成している場合が多いとも一部の大学の内部から聞いたりしている。 とりあえず、学生を集めないことには、教育内容以前に、大学が成り立たなくなる訳だ。

名前だけでなく、教育の中味を変更しないといけない訳だが、 百年一日のごとき教育を毎年行なうだけの教員は、そういう改革をされては居場所がなくなるだろう。 教育の中味の充実より、教員の職の維持の方が優先したり、 学内の派閥争いが激しく、学生のことを考えている暇もない大学が多いと聞く。

さて、タイトルに戻って考えてみよう。 大学入試センター試験はいったい何のために存在するのであろうか。 大学入試センターという組織を作ってしまったので、 その組織の維持のために存在し続けている程度だと思うのだが、当然当っているだろう。

まして、特徴を出すことが使命であり、存在理由の私大学が、 なぜ大学入試センター試験を利用する必要があるのだろうか。 大学入試センター試験を利用すると多額の補助金もいっしょに付いて来るのであろうか。

それでなくても、事実上全入時代になっている。 自らの能力を過信する者を除いては入れる時代になりつつある。もしかして、すでになっている。 そして、今後、人口減少とともに、必然的に大学生も減り、大学淘汰が加速し、倒産する大学も出てくるだろう。 そろそろ、大学も社会の方でまびいてあげないと、社会自体がダメになってしまうだろう。


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