ホームページ目次前の話次の話

何十年たっても進歩しない英語教育をなぜ続けるのか

2008年1月22日

今年も、センター試験が無事かどうか知らぬが、終ったようである。 その中には、もちろん英語の試験もあり、英語のヒアリングのために、 ICプレイヤーも使われている。 装置の方は進歩しているようだが、それに伴って大学生の英語力は上昇しているのだろうか。

技術分野に限っても、日本語に誰かが訳してくれるのを待ってから読んでいたのでは、 明かに遅れをとる。 翻訳書が出るのは、ある程度の部数が売れることが予想される場合に限られるので、 よく知られた内容、メジャーな内容だけが翻訳されることになる。 まあ、そういうメジャーな分野を、しっかり技術が枯れたころに取り組むなら翻訳でも充分だろう。

学問などに限らず、今では英語はあちこちに溢れている。 海外旅行すれば、英語ができないと何かと不便である。 団体旅行で、何もかも用意されてしまっていれば、国内旅行と変わらないかもしれないが、 それで海外旅行したというのはちょっと変ではないだろうか。

インターネットで遊んでいる場合には、英語は避けて通れない。 調べ物をしていると、日本語と英語とでは、情報量、詳しさで圧倒的な差があることが多い。 要するに、日本語だけでは、得られるものはどうしても限られる。 まあ、多くの人が、そういう限られた日本語情報空間の中に閉じこもっているので、 英語がちょっとでもできると、それだけで非常に高く評価される国である。

先日、東京大学に、アジアのリーダーを育てるために、英語で全て教育を行なう 新コースを設けることがニュースに流れていた。 いまさらながらと思うが、東アジアの代表的な大学となると、 今では北京大学、清華大学、上海交通大学などを思い浮かべるのが普通ではないだろうか。 日本の大学もしっかりしなくてはいけない。

さて、私が英語を習っていた中学、高校の頃と比較すると、国際化は非常に進んだ。 今もシリコンバレーをはじめとして、海外で仕事をしている友人、知人もいるようになった。 今では、中学や高校で、海外語学研修を行なうところも珍しくない。

ビジネスマンの中には、英語などを使って仕事をこなしている者もかなりいるはずだ。 資源のほとんどない日本は、多くを輸入に頼っている訳である。 今の時代に、英語の重要性をいまさら言う必要はないだろう。 一部の大企業では、英語能力が低いと永久平社員のところもあるようだ。

さて、そういう情况にあって、なおかつ英語教育はどうも、 何十年間もの間、進歩らしい進歩がないように思う。 何が一番いけないのだろうか。 英語の教育内容をいじったり、ネイティブを補助教員にしたり、 小学校から英語を教えようとしたりして、目先だけは努力しているように見える。

しかし、教員の質を何とかしてもらいたいものだ。 英語で日常生活ができない英語の教員が未だ存在するのは無茶苦茶変だ。 大学を卒業しているのに、英語の本は読めないと堂々と言い張る者がなぜ居るのか。

英語の教師、教育委員会は、英語ができなくても、実はそれほど困らない。 困るのは教えられる側だけである。 しかし、ビジネスマンとなれば、英語がダメとなると、さまざまな弊害を直接こうむる。 そもそも、職業の選択の幅が狭まり、給与も充分に影響を受ける。 技術者ならば、英語の情報が欠落してしまうことは、最初から2流技術者に甘んじるようなものである。 せめて、本くらいは読めないと損である。

ごく一部の大学では本気で英語を教えているが、 それが普通になるのは一体いつのことだろうか?

さて、そろそろ日常会話も忘れてしまったフランス語の再学習をしたいところだが、 もう少し気楽に英語の本が読めるようになってからにしようと思う。


ホームページ目次前の話次の話