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社会では、知識や努力よりも、適当がはるかに重要

2008年5月20日

この年になっても、未だ学校の存在意味が良く分らないのである。 まあ、小学校、中学校くらいまでの勉強はそれなりに必要性は分る。 日本で生活する、働く以上、日本語の読み書きくらいはできないといけないし、 地図くらい分らぬと、目的地へ行けないとか、甚だしく不便である。

しかし、専門教育が進んでしまうと、どんどん社会とは無関係なことが多くなり、 大学、大学院を出て、さて自分の身に付けた学問、知識を役立てようと思ったら、 そういう業界が極端に小さく就職口など考えられないような状態だったりする理由である。 天文学、航空宇宙産業とかいうと、なかなかロマンがあるかも知れないが、 実に就職先が限られている訳である。

そういう特殊な分野でなくても、大学、大学院を出ても、自分の専門とは直接関係ない 企業に就職する場合の方が圧倒的に多いのが今の御時世だろう。

で、考えるに、大学、大学院を済んだら社会に出ようという場合には、 何をやっておけば良いのだろうか? 大学の産学連携とか、インターンシップとか、まあその手の会合に行くことがときどきあるのだが、 そういう時の話で良くその手の質問をされる。 そして、もっと端的に、採用基準を聞かれることもある。

しかし、たかが数年、長い人ならそれでも10年くらいになるかも知れぬが、 何かの専門を勉強し、研究したのであろうが、多くの場合は、 社会と無関係に勉強し、研究した人が多いのではないかと思う。 多くの場合、知識はあるだろうが、会社、あるいは社会というところはそれほど知識を 求めている訳ではない(と思う)。 博学である必要ってあるのだろうか?

少くとも、社会って、期末試験を解くような作業はまず無いのではないだろうか。 それより、面倒なことをしてあげるとか、延々と毎日同じような作業をくり返すとか、 分らない人に丁寧に説明するけれどそれでもどうしても分ってもらえないのに耐えるとか、 怒り狂っている人を何とかなだめるとか、これは使えないから諦めようとか、 犬や猫にもわかるのではないかと思うような説明書を書くとか、 およそ学術論文を書くのとはまったく正反対と言える作業だらけである。

まあ、実際には、そんなこんなぐちゃぐちゃがいっぱいあって、社会のベースは成り立っている。 もの凄い学術論文も良いが、人間に取っては、食う、寝る、そして着るとかの方が圧倒的に大切だ。 さらに、趣味やら、やけ酒やら色々なことをやって息抜きをしながらなんとなく生きている。 それでも、知識や教養があって、種々雑多なことに上手に対処できる方が良い。

プログラム開発に関して言えば、プログラム言語やネットワーク、ハードウェア、 などに精通していることは望ましいが、それだけではなかなか仕事になりはしない。 自分のやりたいようにやったって、仕事はちっとも前には進まないものだ。 世の人々が何を考え、何を欲しているかを把握する能力の方がはるかに重要だ。 また、コンピュータだけでなく、他の分野の知識や経験もあった方がはるかに良い。

一番重要なのは、やはりコミュニケーション能力だろうか。 それも、聞いたり話たりするだけではなく、読んだり書いたりする能力も含めての 広い意味のコミュニケーション能力である。

ということで普通は終るのであろうが、実は、もっと大切なのは、 『適当にやる、適当に片付ける』とう能力ではないか思う。 理論的に正しいことをやれば完璧と思うかも知れないが、 そんなことが通用したことはほとんど経験がない。 完璧を望むと、社会と、会社と、周囲とちっともうまくいかなくなって、 どうにもならなくなるのがオチである。

適当な落とし処を考えて、それにむけて終息させてしまう能力が仕事では望まれているのではないかな。 適当なところで妥協してしまわないと此の世は遣り難いのである。 要するに、『適当』である。 そして、その適当をどのあたりにするか、手加減、匙加減に苦労をする訳である。 適当は、知識、努力よりもはるかに大切である。

ということで、今やっている緊急の仕事も、そろそろ終りにしようと思う。 丁度適当な頃ではないかと思う。

インターンシップ体験記


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