ホームページ目次前の話次の話

独創性は学校教育で育てられる可能性はあるのか

2008年6月18日

もうそろそろ就職戦々も終盤だろうか。 数年前までは、就職難と言われていたが、今は人手不足で採用難と言われている。 まあ、どちらに傾いていても、入りたい会社というのはいつの時代にも競争率が 高く、簡単には就職できない。 採用難で、学生の就職は楽勝と騒がれても、それはあくまで統計的なマクロな話で、 学生個人にとっては、入りたいとこに入社する、遣りたい分野に就職するというので なければ満足することはないだろう。

さて、企業側、採用側について考えてみよう。 最近は、企業側というか、社会全体で求められる人物像が変ってきたようだ。 昔は、いかに生産するかの時代だった。 まあ、要するに、働いただけ生産され、販売、サービスが行われ、利益が出た、 とても良き時代であった訳だ。 生産が増えれば、利益が増えるという超単純、超単細胞な考えで大丈夫だった。

でも、今は、生産が増えれば、在庫が増えるという感じで、必要以上の生産を いかに押えるかに必死である。生産は、以前は人間が行なっていたが、 今は海外生産、自動化、ロボット、などにより飛躍的に生産性が上昇し、 どうやって売るかが最重要テーマになっている時代である。 生産より販売、営業活動がはるかに難しくなっている。

こうなると、作るのも、単に作るのではまったくダメなのである。 他社とは違うもの、ユニークな物を作らねばならない。 製造といっても、何を作るかを考えなければならない。 企画がとても重要になってくる。 他社が出して来ない、ユニークな、突飛な企画が好まれる訳である。

また、技術に関しても、多くの人が知っている技術だけではどうにもならない。 それに、どんな技術が重要になるかの予想もどんどん難しくなっている。 技術進歩がますます激しく、技術を追いかけているだけでは、 勉強だけで疲弊し擦り切れてしまう。 もちろん、一通りの基礎技術の習得は必要だが、 それ以上に、誰にもできないような技術が必要だ。 高度な技術というのではなく、ユニークな、特殊な、妙ちくりんな技術が ある日急に必要になることがある。今はそういう時代である。

大学、大学院では、昔と違って、こういう時代に対応するようにと考えてかどうかは知らぬが、 知識を教えるだけではなく、ベンチャー的な教育機会も設けているようだ。 学外からさまざまな講師を招いたり、学内でベンチャー企業を体験させたりと、 どこの大学も色々なことをしていて驚くくらいだ。

本当の驚きは、こんなに大学はあれこれやっているのに、 どうも、独創的でユニークな、個性ある人間の育成率は、 どう考えても昔より確実に下がっているように思えるのはなぜなのだろうか。

個性有る人間は、そもそも教育で育つのだろうか。 個性ある人間の育成率ではなく、生存率という考え方の方が良いような気がする。 元々人間は個性が豊かなのだが、教育制度がいろいろ整えば整う程、 レールの上を走るように教えられてしまうのではないだろうか。 四駆で荒野を走りまわるような人間も有る程度の割り合い存在しないと不味いはずである。

ユニーク性、個性に対して成績をつけるなど、原理的に不可能だろう。 成績がつけられるようなら、それはユニーク性、個性を削って、 無理矢理ある方向に矯正しているに他ならない。

大学は、元々は、基本的な知識は教えるが、 それは新しいことに対処する能力を高めるためであった筈で、 それならば、そんなに独創性、ユニーク性は失われない筈だ。 しかし、あれもこれも教え、解答の存在する問題しか解けないような人を育ててしまったら、 それはもう大学ではないし、高等教育でもないだろう。

それにしても、最近は、昔のように無茶をやる学生、若者が減り、やたら行義良くなってしまった。 昔の無茶というのは、今まで誰もやらなかったようなことを勝手にやってしまうことだったが、 最近は単に危険なことをやるだけになってしまったような気がする。 これも、教育現場の自由度が、著しく減ってしまったことが原因なんだろうか。


Tシャツ製作ファクトリー

役に立つ!面白い!
ニュース&リンク
総合サイト Okazaki.gr.jp


ホームページ目次前の話次の話