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学校の試験の成績に何らかの意味があるのだろうか

2008年7月13日

小学校、あるいはそれ以前から、大学、さらには大学院に至るまで、 非常に沢山の試験が行われ、そのためにいっぱい勉強している筈である。 すくなくとも、勉強していることになっている筈である。

しかし、その勉強の多くは、試験で良い点数をとることが何だか最終目的なような気がする。 教育の目的は、上になればなるほど、自主的に考え、新しい情況変化にも対応できる能力が育成されている筈である。 というか、そうでなければならない。少なくとも、大学というところは、 正解が決っている問題を解く能力をつけるのではなく、 現状を分析したり、対処方法を考え、必要なら情報収集したり、学習したりしなければいけない。

大学卒業のためには、何らかの卒業研究をやって、論文を書くということになっていた。 が、実態はめちゃくちゃ形骸化していることは、誰しも認めるところだ。 よほど厳しい大学、学科、研究室でもないかぎり、それなりで卒業させてしまっている。

大学、大学院も大いに問題なのだが、18歳になるまで、 ペーパーテストで良い点数を取ることが人生の目的みたいな教育をやってしまっていることが問題だ。 そのペーパーテストも、採点が楽な方にどんどんなっているようである。

まあ、最悪は、センター試験であろうか。 最初の関門が、センター試験で良い点数を取らないといけないということだ。 教育は、とにかく手間がかかるものだ。 手間を惜しんだら、学力が落るのは当然の結果である。 そして、教育レベルが下ったら、国の将来が危うくなっていくわけである。 誤魔化しの代償はとても大きいのだ。

さて、高校卒業までペーパーテストに明け暮れていると、もう手遅れではないかと思う。 ほとんど暗記が中心ということは、頭はほとんど働いていない訳である。 じっくり、書いたり、作らせたり、調べさせたり、発表させたり、そういうことを 小さいころからやらせるべきなのだが、本当にやっていないように思う。

大学へ入ってから、「さあ、自分で考えてみよう」なんて言われたって、というのが正直なところだろう。

でも、考える教育を、高校までに行うというのは大変だろう。 生徒の頭は、今も昔もそれほど差はないはずだが、 教える側が、どうみてもどんどん変になっているようである。

いままでは、日本国内だけのことを考えていても何とかなったと思うが、 これから社会に出る人は、国際化の影響をさけて通ることはとても困難だ。 これからの若者は、さまざまな意味で厳しい競争を勝ち抜いてきた世界の若者との競争を強いられる。

大学生はもちろん、高校生、あるいは中学生でも、 良い成績をもらうよりも、ちゃんとした教育を自分たちは受けているのか考えた方が良いだろう。 世界はどのような教育をし、日本の教育とはどう違うか、知っておいた方が良いのではないだろうか。


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