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大学が著しいレベルダウンなら大学の数を減らすしかない

2008年10月19日

秋であり、例によって大学の相手をすることが多い季節になってしまった。 学園祭に潜り込んで、あれこれ遊んでくるのは楽しいのでよいのだが、 そうでない大学関係の集まりにも出席しなくてはならないことがある。

さて、そういう場で、よく議論に出るのが、うちの大学の学生はそんなに能力ありません、 と平気で言う大学関係者の多いこと、甚だしい。 大学関係者だけならまだしも、文科省の人までがそんなことを平気で言うご時世である。

大学の数は、本当に多く、名前も知らない大学がとんでもなく多い。 学部にいたっては、このところ改名が盛んで、まったく何を教えてくれるのだか、 見当もつかないことがしばしばである。 そういう場合は、実際に聞いても、さらに分からなくなり、教官も、学生も分からないままみたいである。

名前を変更する理由の大部分は、学生が減ってしまったので、何とかイメージを変えて(要するに誤魔化して)、 名前に釣られてくる学生を増やして、このままではどうにもならない学校経営を何とかするのが目的らしい。 新しい学問をやらなくちゃという意気込みで変えるところ(つまりあるべき姿)は、1割もないのではなかろうか。

それにしても、大卒の学力不足を嘆く声は、もう言っても無駄だと思っているのであろうか、 一時ほどは騒がなくなった。

しかし、考えてみると、何も資源のない日本は、教育に力を入れて人を育て、 技術を育てる以外に生きる道はないと思うのだが、 そういう方面への公的な投資は世界一少ないと様々な統計が言っている。 教育は親が負担すべきものだという考えなのだろうか。 そんなことをすれば、裕福な家庭の子供だけが良い教育を受けられるということになるのだが、 実は良い教育のパイが小さくなり、結局全部がダメになる。まあ、それが現状であろうか。

国は、しょうもない土木工事をするよりも、人材育成にもっともっと投資すべきだろう。 工事は、やりさえすれば金が動いて、会計上はうまく行っているかのような錯覚をもたらしてくれる。 しかし、教育は大変だ。非常に面倒な機械を作るよりはるかに面倒である。 この世の中で一番取扱いが難しい「もの」をなんとかするので、むちゃくちゃ人件費=教育費がかかる。 効果は、工事と違って、1年や2年では出ない。最低でも5年、10年かかる長期計画しかない。

ところで、大学を作るときには設置基準とかで、あれこれうるさいことを言うようだ。 設置基準は、これから大学を作る場合の基準で、実際にどんな教育研究がなされているか実績がない段階での基準であり、 現実にどのように運用され、どんな結果が出ているかを判断できる訳がない。

しかし、開学し、卒業生も出るようになれば、もっと正確な判断ができるはずである。 その段階で、ちゃんと存続基準を満たしていることが大学を続けていくのに必要と考えるのがまっとうな考えだろう。 しかし、大学に関しては、存続基準とか、廃止基準というようなものはないようである。 もし存在していて、「大学はろくな教育を行っていない」という声が多ければ、 基準が運用されていないことになるだけだが、そんなこともさっぱり聞かない。

どこの大学卒かよりも、個人差の方が明らかに激しいのだが、 それにしても、授業料と引きかえに卒業証書を出しているような不届きな大学が少なからず存在するようだ。

もっと最悪なのは、そういう大学があるのを知りながら、放置しっぱなしの文部科学省だ。 まったく責任を果たしていないと言える。 「だいがく」をどうしても減らせないのなら、 せめて「大楽」とか、実態を表す名称に改名させるべきだ。


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