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文章の書き方を教える能力もない日本の大学

2008年10月22日

昨日は、工学院大学で行われた大学教育、 大学での社会人教育みたいな内容についての集まりに出席してきた。 そして、ちょっとだけ話もしてきた。

先週、企業が主催していて、 知り合いの先生がユーザ会の会長とかになっている先端ソフトウェア関係の集会にも参加してきたが、 まるで雰囲気、やる気、熱気が違う。 大学の、教育、とくにキャリアセンターというところがからむと、本当にろくな事がない。 それでも出席するのは、ときには掘り出し者が見つかるからである。

大学のキャリア教育やインターン制度についての意見を求められたので、ちょっとだけ話してきた。

まず、小手先のキャリア教育などまったく不要であると。 それより、まずは学力がないといけない。 とくに、日本語の文章が書けることがなにより重要だと。 それができていなくて、どうして高等教育ができるのかと。

日本語、国語の教育というと、日本ではまず確実に誤解される。 すぐに文学の方向に行ってしまう。美しい日本語がどうのこうのという話になる。 その前に、まず、読める文かどうか、伝えたいことが伝えられる文かということである。

その他にもいろいろ意見交換はあったようななかったような感じである。 それにしても、大学の先生方、 とくに肩書きの上のほうの先生方がやるパネルディスカッションというのは、 仲間内の井戸端会議の域を出ていない。 まあ、昔から言われていることだが、 『先生を教育するのが一番の教育上の問題だ』の証明の場になってしまった。

しょうもないパネルディスカッションを終え、懇親会とかいうのになった。 場所を替え、大学の最上階で行った。さすがに見晴らしはよいと言いたいところだが、 どんどん高層ビルが建っていて、それほどでもなかった。

エレベータの中でいっしょだったおっさん、学校の先生ではなさそうだし、 ちょっと不思議な雰囲気であった。 そして、懇親会が始まったら、なんとその人が挨拶をするではないか、主催者側の人だった。 実は、産経新聞社の常務であった。 それから、「ことば検定」の話になった。 新聞社からみて、あまりにも日本語の状況がおかしくなってきたので始めることにしたのだと。

日本の高校生の学力レベルが下がって大学の教育に問題が出ているというが、 海外の大学では、もっととんでもなく低いレベルの学生が入学するのが普通である。 それが、大学にいる間に、ちゃんとなっていき、わけの分からぬ英語を書いていたのが、 しっかりした英語を書くようになるんだということも先生方はちゃんと知っていたりする。

知り合いが先生をやっている大学とか、まあいろいろいた。 しかし、こういうのに参加する大学というのは、やはりある程度のレベルには達している大学が多かった。

先生は、大きく2つのタイプに分けられた。 現状をなんとかしようという先生方と、 波風立てず、すべてをやり過ごしてしまおうという先生方である。

企業、学生、先生、役人など来ていたが、先生のかなりを除けば、 結構普通ではないかと思える人々であった。 日本の教育の将来は、とにかく大変だ。 その中でも、大学の先生自体の意識改革が一番大変だ。 それに比べれば、他の改革はそんなに困難ではないだろう。

さて、大学は社会についていけるのだろうか?


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