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知識を教えている大学と学習能力を育てる大学の差

2008年10月26日

ついでだから、大学教育について、書きつづけておこうと思う。

日本の大学では、どうしてこうも知識偏重なのかと思ってしまう。 知識は確かに教えやすい。学生が覚えたかどうか、理解したかどうかの判定も行いやすい。 また、実験、演習、ゼミなどとちがって、大教室で教えることも可能で、 大学にとってコストがかからないのも大学当局にとっては魅力なのだろうか。

しかし、今の時代、大学で学習した知識、とくに専門知識がどれほど社会で役立つであろうか。 基礎知識であればあるほど役立つであろうが、専門的な知識の多くは、 大学卒業前にすっかり乾ききっているとか、枯れているとか、腐っているものである。 IT業界においては、状況は延々と変化するしかないし、今や他の業界でも徐々にそうなっているようである。 それに、大学で習った専門分野に関連するような企業に就職できる人の割合は非常に少ないはずだ。

こういう時代の教育を、いままでと同じような思考でやっていてはどうしようもない。 日本がまだ鎖国状態であれば、それでも大丈夫だろうが、 今や社会は、世界の動きと無関係ではいられない状況にある。 日本の大企業の中には、日本の研究所を縮小し、研究の中心を海外に移しているところもある。 要するに、日本の大学生はもう取りたくありませんと宣言しているようなものである。 大企業だけでなく、中小零細であっても、国際化に巻き込まれてしまう時代である。

そういう状態だが、今も、講義中心の、椅子にじっと座って学ぶという「座学」が中心であり、 単位数もそういう授業の方が多い。卒業に必要な単位数を確保するには、 座学をできるだけ多くし、さらに単位をとりやすい授業がどれかを探し出す 「ちゃっかり能力」がある方が良いことになる。

こんなことだから、理解した(つもり)で終わっている勉強が多い。 また、単位を取ることがどうしても目的になってしまっていて、 もっと長い先を考えた教育がされていない。

先日JETRO主催の講演会で、 タイでは教育の柱に、Learnability(学習能力)を置いていると話していた。 大学は知識も教えるが、肝心なのは学習する能力を高めることが重要なのだと何度も言っていた。 学習能力さえ高めておけば、卒業後何が起ころうと、勉強して新しいことに対処できる訳である。 Learnabilityを高めるということは、結局、変化への対処能力を高めるということ、 その当然の結果として生涯学習を自ら行うようにしようという狙いである。

このところ、フィンランドの教育が話題になっているが、 結局フィンランドも、Learnabilityを鍛えて成功した訳である。 何才になっても新しい職業に必要なことを学習して、 ごく自然に転職するらしいし、社会がそれを当然のように受け入れているらしい。 フィンランドの大学に進学した先輩もいるのだが、会うと飲んでしまって、 実はあまり聞き出せていないのはもったいないのだが、 教育だけでなく、生活もずいぶん日本の常識とは違うらしい。

学習能力を十分に高めることができれば、 将来自ら学習する人間になることはもちろんだが、 大学の専門教育も手取り足取り教えなくても、 自主的に学習するようになるのではないだろうか。

最近、社会では、「指示待ち人間」がとても問題になっている。 教えた内容を試験で書けば卒業できるようなことをしていては、当然「指示待ち人間」が大量発生するに決まっている。

大学のキャリアセンターなどで、インターンや採用試験などにあたり、 頑張って自主的に動くように指導しているようであるが、 その部分だけで指導しても絶対に手遅れである。

「指示待ち人間」ではどうにもならない、確実に単位を落とすような教育をしなければならない。 社会に出たら、大学のように授業内容が決まっていてそれにしたがって学習するというのではどうにもならなくなる。 不足している能力があれば、自ら学習して何とかしていかなければ、そのうち落ちこぼれになってしまう。

日本の場合、大学全体としてはどこもまだまだのようなので、 学習能力を育ててくれそうな先生を探すしかないだろうか。 チャレンジングな研究室に行って、さらにチャレンジングなことをやれば、必ず学習能力は身につく。

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