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北 杜夫



 
書名母の影
文庫新潮文庫 き−4−50
初出平成6年5月新潮社より刊行
発行平成9年5月1日
頁数243ページ
定価400円(本体)

北杜夫は、歌人斎藤茂吉の子である。昆虫マニアであり、医者をこころざした が、松本高校のころから父茂吉の歌にひかれ、文学も志すようになった。 しかし、親が大歌人であればあるほど、文学、とりわけ歌を勉強するのは困難で あったと思う。

本書はそういう歌人かつ茂吉の子として生まれた北杜夫が、母、輝子のこと を書いたものである。輝子は昭和8年に「ダンスホール事件」で、有閑マダム の代表みたいに新聞に書かれ、それがきっかけで茂吉と母輝子は別居となる。

本書は母輝子の本の筈であるが、前半は北杜夫の若き日の生活ぶりと、父茂 吉とのかかわりが殆どで、ときどき別居の母の話が出て来る程度である。まあ、 伏線といった感じである。

その中に、根津山の話がある。その山の近くに病院の本院があり、その近く に母が別居していたのである。別居後しばらくしてから母の元まで自転車で通 うようになり、近くの根津山で昆虫採集を随分したらしい。この根津山という のは、現在の世田谷の羽根木公園のことである。実は、私は先日妻と、小田急 線の梅が丘駅まで行ったついでに羽根木公園を散策した。かなり大きな公園で ある。

せて、戦争のどさくさになってからは母の行動力で苦難を乗り越え始め、昭 和28年に茂吉が亡くなるが、母が看護を一手に引き受けた。その後、身軽に なった母は、「痛快婆さま」の名を欲しいままにするほど世界を飛び歩いたの である。

こういう両親を持つなんてことは殆どありえないことであるが、偶然にも北 杜夫はそういう家に生まれ、ものかきになったのである。そういう類稀な生活 を本書はかいま見せてくれる。本書は、北杜夫の本の中では重い、初期の作品、 そして『楡家の人々』に至る題材が多数登場する。

1997年5月22日


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