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藤原 博文(ふじわら の ひろふみ、生年不詳 - 延長7年9月9日(929年10月14日))は、平安時代前期の官人・文人。藤原北家真夏流(日野家)の出身。東山進士藤原関雄の孫。遠江守藤原貞幹の子。母は御室氏。 文章得業生の延喜2年(902年)、秀句により蔵人所雑色に抜擢される。その後、対策を経て、少内記に任ぜられる。延喜6年(906年)、『史記』進講の都講を務め、その後、大内記・式部少輔・東宮学士を歴任した。延長4年(926年)文章博士になり、その後、従四位下民部大輔に至る。延長7年(929年)9月9日卒去。 菅原道真の門下生で、彼自身も典型的な儒臣だった。漢詩3首・方略試(対策)の問文(問題文)1篇が現存する。また『鉄槌伝』(『本朝文粋』巻12所収)は博文の作とも言われている。また大江朝綱・紀在昌の対策の問頭博士(試験官)を務めている。詩壇においては貞観・延喜期と承平・天暦期の過渡期に位置した。 出典: Wikipedia |
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