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最先端産業都市


倉敷市と言ったら、どういう産業があるか知っているだろうか。倉敷美観地 区を中心とする観光都市と思ってはいないだろうか。確かに、ある程度は当たっ ているが、それだけの都市ではない。それでは、小学生の社会科のテストも落 ちてしまう。

まず水島コンビナートを挙げなければならない。瀬戸内海屈指のコンビナー トであることはもちろん、日本はおろか世界有数のコンビナートであり、10 0万都市以外では断トツの工業生産額を誇っているのである。製鉄、自動車、 石油化学、造船、電力など多様な産業の工場群がひしめいている。

さて、倉敷市というのは、海を埋め立てて突然できた水島コンビナートだけ ではなく、倉敷市、児島市、玉島市の3市が合併して出来た市である。3市は それぞれ特徴があり、気候風土から歴史、人間性まで多いに異なる。今でも住 民達はもちろん別の街、別々の市が、仮に合併しているというくらいにしか思っ ていない。

その中でも、私の生まれた児島というのは、かなり特殊な気候、風土、歴史、 産業を持っているところである。まず、児島というだけあって、本州とは別の 瀬戸内に浮かぶ島であった。気候は極めて温暖で、岡山、倉敷に雪が降っても、 瀬戸内海を渡って四国の香川に雪が降っても、児島に雪が降ることはまずない。

この温暖で、降水量が極度に少ないことが、塩業を盛んにしたのである。塩 田が町の海岸線の殆どを占めていて、「塩田王」が君臨した、そして今も君臨 し続けている町である。このことを知らなければ児島のことは何も理解できな い。つまり、児島の中心地の土地の大部分は、今でも「塩田王」の領土なので ある。

塩田が営まれていた間は、人間は塩田と山との間の狭い土地にへばりついて 生活していたが、塩田が廃止になり、急に土地が発生した。それとともに、急 に自動車社会になり、商店なども駐車場を求めてどんどん移動し、昔からの商 店街は、もうゴーストタウンである。といっても、たった20年くらいの間に ゴーストタウンになったのである。

さて、児島の産業について整理しよう。児島は、戦前から学生服の日本最大 の生産地であり、大小の縫製工場が軒を連ねていた。全国から女工さんになる ために集団就職するような町であった。私の叔父さんとかは、そういう女工さ んを確保するために全国の中学を訪ね歩いていたりした。

繊維産業は、いち早く日本で起きた産業であるが、当然アジア諸国でもいち 早く起きた産業であり、繊維、縫製業という人手の割合の多い産業はどんどん 低賃金国に移るので、児島の多くの工場は閉鎖または倒産するか、あるいは自 ら生産を低賃金国に移すことを積極的に行なった。数年前までは児島でしか生 産できない部分も残っていたが、海外の技術も次第に向上し、児島での生産の 割合は限りなく0に近付いている。

元々が学生服の町であり、各被服会社の営業圏は全国におよぶ。しかし、学 生服、セーラー服を学生は着なくなり、生徒数も減り、作業服、事務服、体育 服、その他高級ではない服へシフトした。児島の被服会社は、殆どが営業本部 というか、本社機能だけになってしまった。生産拠点を、アジア各国を順番に 移動してきたのが児島の生き残った被服会社の歴史である。このようにして、 児島の被服会社は国際化を進めてきたのである。

水島コンビナートの自動車会社の下請けなどもあるが、自動車の生産もアジ アに移りつつあり、下請けもアジアを中心に各国に工場を持つ国際企業になり つつある。

それだけではなく、児島はコンピュータなどの新しい産業も起こして来たの である。といっても、コンピュータを設計するとか、コンピュータを生産して きたのではない。技術はあまり要らないが、ちょっと頭の切替えがいるものを 作りはじめたのである。コンピュータ用の机とか、アクセサリー類である。こ の分野では、今では日本最大規模の会社になってしまった。しかし、もう国内 生産は厳しくなっているようであり、被服会社の跡を追いかけるのではないか と思われる。

瀬戸大橋の工事のときには、町の土木業者は歴史始まって以来の受注量の恩 恵を受け、瀬戸大橋だけではなく町中の道路が一気に整備された。しかし、そ の景気は瞬間的なものであり、まあ、二度とそのような景気は訪れないであろ う。

もちろん、児島では観光も盛んである。下津井という港町は奈良、平安のこ ろからの水運の要衝であり、また海賊の基地とかとも言われている。鷲羽山、 瀬戸大橋、下津井など観光地も多く、岡山の後楽園、倉敷美観地区をしのぐよ うな観光地でもある。

その他にも色々目新しいことをやる企業は後を断たない町である。塩、被服 と超不況業種の町であり、瀬戸大橋の工事による一瞬の繁栄を経験した町であ る。通常の町の場合には、「困った、困った」と言って終ることが多いのかも 知れないが、児島というところは、どうも過去への執着は少なく、新しいこと へ飛びつく人間の多い所である。

児島は、これから日本の各都市が経験するであろう程度の産業の空洞化は既 に何度も経験した 最先端産業空洞化経験都市である。 そして、空洞化していてもなんとかして生き延び、今後もなんとかなりそう な町である。


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